2011年12月31日

黒白写真のハイブリッド処理研究は年を越してから


段差堰 桂川(京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)Harman Titan 4x5 Pinhole + Ilford Delta 100

JOBO Rotary Tank #2521 and #2529n
10日ほど前に届いたイルフォードのピンホール写真キットのテスト撮影をしてみた。ハーマンテクノロジー社のカメラは前回紹介したように、焦点距離:72mm(2.8in) 針孔口径:0.35mm(0.0138in) F値:206 画角:97°である。長時間露光であることが分かるように、嵐山の桂川を撮影した。天候は薄曇りで、オレンジフィルターを付けていたので2絞り分暗く、露光は約30秒だった。JOBOの回転式タンクを使い、現像液は1:1に希釈したD-76で、液温20℃、時間は15分だった。ネガをエプソンのF-3200でスキャン、ややセピア色がかった、ちょっと面白い画像だったのでそのままセーブ。続いてカラー情報を破棄してセーブした。彩度をゼロにしてカラー情報を残したほうがいいのか、これは今後の課題である。旧ブログでも何回か触れた記憶があるが、カラー情報を破棄した写真を一般にモノクロームと呼んでいる。確かに単色だから、そうに違いないが、銀塩のそれはちょっと違うと感じてきた。つまり真の黒白写真の黒は銀粒子のそれであって、染料の色素ではない。だから元がフィルムであれデジタルカメラのそれであれ、銀粒子なしの写真は黒白写真と呼びたくなかったのである。フィルムで撮ったものは、銀塩ペーパーに焼く、それが当然と考えてきた。しかしアナログ→デジタル変換、つまりハイブリッド処理によるエンハンスもあっていいのでは、と最近感ずるようになった。フィルム現像はともかく、プリント暗室を持ってないという事情もあるが、ひとつの方法論として来年は進めようと思う。さて大晦日、今度こそこれが今年最後の投稿です。それでは良いお年を。

2011年12月29日

まるで時計の振り子のようだが


玩具 モニカ(京都市上京区御前通今出川下る) Sony NEX-5 + Zoneplate

年内のブログ更新はお終いにするつもりで前回「良いお年を」と書いたけど、まだ積み残しがあるようだ。昨日、年の瀬の風景を撮ろうと北野天満宮に出かけたが、余りにも風が冷たく、早々に切り上げて、御前通を今出川通から南に下がったところにあるケーキ&喫茶店「モニカ」に飛び込んだ。コーヒーを啜りながら水上勉の「一休を歩く」を紐解いた。一休宗純のゆかりの地を訪ねた紀行文学である。ものすごく良い本だけど、集英社文庫版は絶版である。しかし何とアマゾンのマーケットプレイスでは1円の値がついている。なぜ1円なのか、それを書こうとすると大幅に脱線しそうなので、その不思議はいずれ触れることにする。会計を済ませて店を出ようとしたら、玩具のクラシックカーが眼に飛び込んできた。上掲の写真がそれである。そして外に出て振り返り、また一枚、素敵なネオンを。いずれもゾーンプレート写真である。


黄昏 モニカ(京都市上京区御前通今出川下る) Sony NEX-5 + Zoneplate

半年前まではゾーンプレート写真をニコンのデジタル一眼レフD80で撮っていたが、8月からソニーのミラーレス一眼NEX-5に切り替えた。これに関してはその一ヶ月強前に「フランジバックが短いミラーレス一眼カメラへの憧憬」という一文を投稿した。導入して気づいたのだが、ゾーンプレートを付けるとD80では自動露出ができなかったのに、NEX-5では可能。感度の変更も自動で、しかも背面液晶モニターでライブビューができる。まさにイージーショットの極みである。というわけで、このカメラで五ヶ月間撮り続けてきたわけだが、4月下旬に導入した富士フイルムのX-100も手放すことはなかった。ご存知、ゾーンプレート写真はソフトフォーカスで、やや非現実的な画像を得ることができる。従ってX-100で捉えたストレーと写真とは矛盾する作品作りをしてきたことになる。まるで時計の振り子のようだが、双子座生まれゆえの所業かもしれない。

2011年12月28日

花と散り玉と見えつつあざむけば雪降る里ぞ夢に見えける


辰の絵馬 北野天満宮(京都市上京区馬喰町) Fujifilm Finepix X100

年の瀬、北野天満宮では大鳥居や楼門などの注連縄(しめなわ)が取り替えられた。楼門に掲げられた辰の大絵馬は日展評議員の三輪晃久氏の筆になるもので、元日から授与される絵馬と同じ図柄だという。看板に「花と散り玉と見えつつあざむけば雪降る里ぞ夢に見えける」という菅原道真の歌が見える。梅の名所。境内あちこちの枝に、蕾が傷むのでお神籤(みくじ)を結ばないようにという、初詣客への注意書きの短冊が下がっている。大晦日から元日もかけてこの天満宮と平野神社を参詣するのが習慣になってしまったが、今年も出かけることになると思う。夕方、火之御子社鑽火祭(ひのみこしゃきりびさい)で新しい火がきりだされ、中庭のかがり火に移される。八坂神社の「おけら詣り」が有名だが、天満宮も古来からの習わしに従っているという。2日からは「天満書」つまり神前の書初めが行われる。それではみなさま良いお年を。

2011年12月25日

腹立ちまぎれに現代を生きているのだ


山之口貘さんの詩を読みたくなって、講談社から出ている文庫版の詩文集を購入した。私は写真のような古ぼけたハードカバー版を所有しているが、持ち歩くにはやはり文庫版がよい。上掲の詩集は昭和33(1958)年、昭和39(1964)年に原書房から初版が出たものだが、いずれも昨年の暮れに復刻版が出た。貘さん(面識はなかったけ「さん」付けしたくなる)沖縄県立図書館では「山之口貘文庫」が開設されるなど、再評価されて人気が高まってるという。『鮪に鰯』の巻末には娘さんの泉さんが「後記にかえて」という一文を寄せている。「パパ、あなたの詩集です。子供のように眼を輝かせ毎日きょうを見つめていたあなたの新しい詩集です」云々。獏さんの詩集を手にしていたら、今度は高田渡さん(面識があったので「さん」付けしたくなる)の歌を聴きたくなった。渡さんの『生活の柄』『鮪に鰯』は獏さんの詩である。後者は「鮪は原爆を憎み 水爆にはまた脅かされて 腹立ちまぎれに 現代を生きているのだ」という下りで分かるように、ビキニ島の核実験を題材にした作品である。

2011年12月21日

帰ってきた木製暗箱デアドルフ


シカゴ時代の広告
ちょっと調べたいことがあり「Deardorff & Sons」をキーワード検索したら、上掲のようなページが目に飛び込んできた。なんとそこには大判木製暗箱デアドルフが、20年ぶりに帰ってきたという意味のことが書いてある。最初は中古販売サイトかと思ったが、どうやら限定注文生産を始めたようだ。4x5と8x10、それぞれ15台ずつ製造したようで、画面下部に前者は3台残っているが、後者は売り切れとある。デアドルフについては Deardorff Historical Web Site に詳しいので、興味ある方はアクセスすることをお勧めする。簡単に一瞥すると、1923年にカメラの修理工であったラバーン・F・デアドルフがシカゴで木製暗箱の製造販売を始め、やがてそれはアメリカを代表する名機となる。しかし時代の波に逆らえず、1988年に製造中止になってしまった。その後日本の銀一と駒村商会の支援受けて1992年テネシー州で再開した。大きな変更点はニッケルメッキした真鍮の代わりにステンレス鋼を使用したことだったが、やはり売れなかったようで、1996年に幕を閉じた。実は私の記憶もここで終わっている。だからこのサイトに出会い、ただただ驚いている次第である。シカゴ製の8x10を持っているので新たに食指を動かすことはないが、このデジタル時代に大判フィルムカメラ、その行方がどうなるか興味津々である。

2011年12月20日

イルフォードのピンホール写真キットが届いた


Harman Titan 4x5 and Zero 4x5 Pinhole Camera

©ILFORD PHOTO
米国のネット通販B&H社に発注したイルフォードのピンホール写真キットが届いた。ニューヨークからわずか5日、早いものである。かかった費用はB&Hには送料込みで262.41ドル、そして個人輸入の関税と消費税をあわせて500円だった。合計およそ2万円強ということになるが、ピンホールカメラとしてはちょっと高価という感じがする。ただし4x5のフィルム、ポジ印画紙、多階調印画紙、それぞれ10枚ずつ付属している。今のところカメラだけ売ってくれない。というよりイルフォードは感材メーカー、フィルムと印画紙を売るためにピンホール写真キットを発案したのかもしれない。写真右は傷だらけになってしまったゼロイメージ社の4x5ピンホールカメラだが、厚さ25ミリの木枠を重箱のように重ねる仕組みになっている。3個で焦点距離75ミリ、ハーマン・チタンは72ミリだから、だいたい同じ厚さになる。ただしピラミッド型の蛇腹もどきで、筐体は小さく軽い。とりあえずIlford Delta 100を使ってテスト撮影するつもりだ。ピンホールカメラは長時間露光になるので相反則不軌特性を知る必要がある。初めて使うフィルムなのでデーターシートがあればダウンロードしようと思っている。

Harman Titan 4x5 Pinhole 焦点距離:72mm(2.8in) 針孔口径:0.35mm(0.0138in) F値:206 画角:97°

見仏者たちは野の仏を見逃してはいないだろうか


童形地蔵 誓願寺(京都市中京区新京極通三条下る)Sony NEX-5 + Zoneplate

長岡和慶「石仏を彫る」
和泉式部と一遍上人が主な役となって縁起と霊験を物語る、世阿弥作の謡曲で知られる誓願寺は、京都の繁華街、三条通りから新京極を南に下がったところにある。山門には新選組隊士と舞妓の図柄をデザインした、記念撮影用の顔出しパネルが置いてある。石段を登り、本堂に入ると、丈六の本尊の阿弥陀如来座像を拝することができる。丈六といのは釈迦如来の身長が1丈6尺(約4.85メートル)あったというところから、このサイズの像を表す言葉である。かなり大きいので、至近から見る感じがする。狭い境内の片隅に童形の地蔵が安置されている。かなり新しいものと一目で分かる。それもそのはずで、作者は愛知県岡崎市に工房を持つ長岡和慶師。滋賀県三井寺、京都三千院から大仏師の称号を受けている現役の石仏彫刻家である。これまで何回か石仏について触れたが、石仏は野の仏、風雪にさらされる彫刻である。多くは無名の石工によって彫られてきたものだが、大仏師の称号を受けた作家が現存することは実に頼もしい。寺院の堂内に安置された仏像は、信仰の対象であると共に、文化財という側面も持っている。だから古いものほど、そして国宝などの文化財指定を受けたものほど注目されるようだ。ここ数年の仏像ブームの追従者にそれを伺うことができる。京の街角にはたくさんの地蔵の祠があり、人々は仏花を絶やさない。しかし果たして「見仏者」たちはいかがなものだろうか、野の石仏を見逃してはいないだろうか。新しいものだったら尚更ではないだろうかと思うのだが。

2011年12月19日

やっぱり年賀状はやめられない


迎春絵馬 松尾大社(京都市西京区嵐山宮町) Fujifilm Finepix X100

昨年の確か今頃だったと思う、ある方から「年賀状を出しません」という意味のハガキが着いた。意地悪く解釈すれば交換したくない人だけに出したのではと勘ぐれないわけではない。しかし真っ正直な性格を知ってる私は、余程困ってのことだろうと想像したものである。ある大きな団体の役員さんで、会ったこともない会員から年賀状がたくさん届き辟易としているのだろうか。私なら黙ったまま出さないかもしれない。そうすれば自然と減るのにと想像するからだ。いっそ、そうするなら同じ趣旨のことを年賀状に書けば良いのに、とも思った。しかし受け取る前に出す、やはり正直な人なのである。ところで今年は例年になく早くから印刷し、私製ハガキなので年賀切手も購入した。印刷だけでは味気ないので、宛名だけは万年筆で書くことにしている。今年もあと十日余りでお終い。そろそろ書かねばと思うのだが、正直言ってちょぴり億劫である。電子メールだけで済めば本当はいいのだが、という横着が脳裡をかすめる。しかし、元日。ポストから年賀状の束を取り出し、ああみんな元気だな、と一年一回の音信に安堵する。あの瞬間を思うと、やっぱり年賀状はやめられない。

2011年12月18日

次のステップの生命を担う落ち葉


落ち葉 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町)Fujifilm Finepix X100

今年の京都の紅葉は綺麗ではなかったという意味のことを数回にわたって書いた。人それぞれ主観があるし、すべての名刹を訪ねたわけではないから、ちょっぴり反省している。ただ地球温暖化によって、植物に微妙な変化が起きている、そんなことが脳裡に走っているのかもしれない。ところで紅葉した葉はやがて落ちる。なぜ落葉するのだろうか。落葉樹が秋になり、気温が下がってきても緑の葉をつけたままだと、光合成能力が落ちて植物体を維持できなくなってしまうという。だから葉を落として休眠するというのだ。そして散った葉は昆虫や微生物の糧となる。彼等によって分解された落ち葉は腐葉土となり再び栄養として森の木々に吸収される。見事な自然の仕組みではある。枯れて落ちたは葉は一見悲しいけど、次のステップの生命を担っていると思うと、何故かほっとする。

2011年12月17日

新登場 Facebook タイムラインをデザインする


ソーシャルメディアFacebookが新しいプロフィールページ「タイムライン」を一昨日の15日に一般公開した。タイムラインは、9月に米国で開催されたFacebookの開発者向けカンファレンスで発表された新プロフィールページ。旧来のプロフィールページに比べてビジュアルを多用。近況やアップロードした写真、チェックインしたスポット、ライフイベントなどをひとつのページに集約。さまざまな情報をユーザーの好みに合わせて編集し、時系列で表示できる。そこで私もとりあえずプロフィール用の背景画像を用意、アップロードしてみた。この背景画像は850x315ピクセルで表示されるが、実際には必ずしもこの大きさで作る必要はない。横幅は規定値にリサイズされるし、縦方向の位置はアップロード後にオンライン設定できる。急いで作った拙作を公開するが(無論Facebook上では公開済み)もう少し工夫したデザインに塗り替えたいと思っている。

2011年12月16日

イルフォードのピンホール写真キットを発注


一ヶ月前、当ブログで英国のハーマンテクノロジー社が10月24日に「イルフォード・ピンホール写真キット」を発売したと紹介した。日本ではハーマンテクノロジー社の国内正規輸入元であるサイバーグラフィックス社が来年第一四半期に発売できるよう準備を進めているようだとも。日本の企業の会計年度は4月から始まるので、第一四半期にというと随分先になる。写真共有サイトのFlickにはすでにグループ「Harman Titan 4x5 Pinhole Camera」も立ち上がってるし、久しぶりに「物欲」が湧いてきた。そこでアマゾンなどの通販サイトを当たってみたが、国内ではまだ入手ができないようだ。もしかしたら輸入元となるサイバーグラフィックス社がキット内容の構成を検討しているのかもしれない。米国の通販サイトB&Hを覗いたところ、$219.95で売りだされていた。送料込みで$262.41だが、換算すると約2万円となる。正規輸入された場合の価格は無論不明だが、日本語の解説書その他が付くだろうから、これより高くなる可能性もある。3種類のフィルムと印画紙がセットになっているので、というよりイルフォードは感材を売りたいためにキットにしたのだろうから、ピンホールカメラとしては高価な感じがする。カメラ本体だけ売ってくれるとありがたいのだが。ちょっと躊躇ったが、発注した。1週間くらいで着くと思われるので、テストしたらまた報告したい。

2011年12月10日

次はMacに決めた

マックとウィンドウズ 2011「共存・共有・共栄」 (MYCOMムック 別冊Mac Fan VOL. 7) 毎日コミュニケーションズ

Apple PowerBook 2400c/240
3台のパソコンを所有している。据え置き型はWindowsXP、そして2台のノート型はWindows7で動いている。パソコンはハードディスクのクラッシュなどで、ある時期が来れば必ず壊れる。もしメインに使ってるXPマシンの寿命が尽きたら、Windows7を導入する気分になれない。Macに乗り換えようと思っている。これまでWindowsマシンを使ってきた理由にテキストエディタの問題があった。詳細は省くが、使用しているMIFESはホームページのHTML記述に優れてると思う。特に複数の文字列の連続置換機能はウェブの手直しに便利だ。しかしその必要性が薄らいできた。そこで気になり始めたのがマシンである。かつて私はMacユーザーであった。コメットで知られるPowerBook2400cを使っていた頃だから、90年代末のことである。日本IBMとの共同開発で、日本人向けに作られたものだが、米アップル社がデザインしたにも関わらず、後にCEOに返り咲いたスティーブ・ジョブス氏はこれを嫌っていたフシがある。事実、以降Mac互換機が他社から出ることはなかった。多くのメーカーが参入したほうが優れたマシンができると思っていた私は、いわばその閉鎖性に疑問を持ったものだ。ところがiPod以降の製品を見てジョブス氏の思想が垣間見えたような気がする。頑ななデザイン思想を貫くには、他社に任されない、自分たちだけで作る。そういう姿勢がアップルをしてソニーを凌駕したパワーになったのだろう。稀有な例だが、認めないわけにはゆかない。はっきり言ってWindowsマシンはどれを見てもダサい。これに尽きる。次はMacに決めたが、正確に記述すれば乗り換えではなく、回帰、あるいは復縁である。

2011年12月8日

寒さ抱き枝にすがる冬モミジ

モミジ 京都府立植物園(京都市左京区下鴨半木町)Fujifilm Finepix X100

小雨の中、京都府立植物園に出かけた。北門から入り、西に歩くと、高木メタセコイアが視界に飛び込んできたが、意外にもまだ枝にたくさん葉が残っている。目的の半木(なからぎ)の森に辿り着いてカエデを観察すると、かなり落葉しているものの、十分モミジを楽しめる状態になっている。ダウンジャケット着こんできたが、雨も降っているし、空気は冷たい。すっかり冬の気配なのに、晩秋の風情なのだ。園内の人影はごく少なく、体を温めるために入ったレストハウスを独り占めすることになった。改築されたばかりのカフェでコーヒーをすすった後、今度は植物生態園を散策することにした。日本各地の山野に自生する植物や、古来より栽培されてきた園芸植物などを自然に近い状態で植栽しているゾーンだ。半木の森の池から流れ出たせせらぎを覆うように、ここでもカエデの葉が枝に残っている。今年は11月に入っても暖かく、木々の葉が染まり始めるが遅かったが、その名残だろうか。それにしても師走に入って一週間が過ぎた。秋の名残の冬モミジが粘っている。

2011年12月3日

生まれては死ぬるなり釈迦も達磨も猫も杓子も

酬恩庵一休寺(京田辺市薪里ノ内)

紙本淡彩一休和尚像(東京国立博物館蔵)
京都市営地下鉄から近鉄電車に乗り継ぎ、新田辺駅で降りた。一瞬歩こうかと思ったが、今年の一月に骨折した足首が未だに痛むので、酬恩庵、通称一休寺までタクシーに乗った。これまで何度か参詣しているが、いずれもサツキが咲くころで、初夏だったと記憶している。新緑の見事さから紅葉を想像、秋に一度訪ねようと考えていた。今年は京都の紅葉が惨憺たる有様なので、市外に出れば違うかもという思惑もあった。期待通りの色づきとは言い難いが、部分的に美しい木があったという表現に留めておこう。酬恩庵は一休宗純が晩年を過ごした寺で、盲目の女性、森女(しんじょ)とのことを旧ブログに「盲森夜々伴吟身被底鴛鴦私語新」と題して二年半前に書いた。一休の『狂雲集』にある漢詩で「盲目の森伴者は毎夜詩を吟ずる私に寄り添い、夜具の中でオシドリのごとく、睦まじく囁き合う」という意味である。その時もも触れたことだが、日本人に刷りこまれた「一休さん」のイメージは、江戸時代の『一休咄』などに遡るそうだが、決定的になったのはテレビ朝日系で放映されたアニメだと思う。しかし重文「紙本淡彩一休和尚像」を見ると、そのイメージはガラガラと崩れ落ちるに違いない。つるつる頭の「トンチの一休さん」は虚像であり、無精髭、ボサボサ頭の宗純が実像なのだ。森女は旅芸人だった。身分の低い女性であったが、10年にわたり死ぬまで愛し続けた。臨終の際に「死にとうない」と残したと余りにも有名な言い伝えがあるが「朦々淡々として六十年、末期の糞をさらして梵天に捧ぐ。借用申す昨日昨日、返済申す今日今日。借りおきし五つのものを四つ返し、本来空に、いまぞもとづく」が辞世の言葉だった。地水火風空の五大のうち、地水火風はお返しするが、残りの空だけは本来のところに帰るまでのこと、という意味であろう。いかにも一休である。

2011年12月1日

羽子板の重きが嬉し突かで立つ

羽子板 田中彌(京都市下京区四条通柳馬場東入る)Fujifilm Finepix X100

天神さんで見つけた羽子板(北野天満宮) Fujifilm Finepix X100
なぜか今年は時の流れが早いような気がする。遅々として復興が進まない東北、不安的なままの福島原子力発電所の原子炉。進まない故に、待つが故に時間の労費を感ずるのかもしれない。師走。四条通の人形店を覗いたら羽子板が飾ってあった。羽子板は羽突きの道具、だから当初は簡単な絵が描いてあるだけの素朴なものだったが、やがて内裏羽子板が現れた。その後押絵が流行り、江戸後期から当たり狂言を取った役者の羽子板が喜ばれるようになったという。標題は角川書店編『俳句歳時記』に収録されてる長谷川かな女の句だが、中村吉衛門の句にこんな句がある。
        看板の大羽子板の歌右衛門
押絵羽子板は、明治初期から刺繍縫い取りなど凝ったものが登場し、大正末期に羽子板に使用する金襴、友禅等が織り染められ、上絵の技法が出るに及んで、一段と豪華さを加えるようになったという。無論これは遊戯用ではなく、床飾りあるいは女の子への贈り物である。写真の羽子板は押絵ではないが、手描き本金箔の豪華なもので、やはり鑑賞用である。題材は平安貴族の左義長祭の様子である。ところで先月25日、北野天満宮の縁日「天神さん」で素朴な、決して豪華ではないが懐かしい羽子板を見つけた。見入っていたら、子ども時代の正月風景が突然フラッシュバックした。