2012年6月26日

日本は遠洋の「調査捕鯨」をやめ沿岸捕鯨のテコ入れをすべきではないだろうか

葛飾北斎「千絵の海・五島鯨突」1830(文政13)年ごろ

いささか旧聞めくが6月14日付AFP電子版によると、北西太平洋で捕獲した鯨肉が入札で4分の3が売れ残ったという。入札にかけられたのは、昨夏実施した調査捕鯨で得た冷凍鯨肉だった。この記事を読んで、改めて南極海を含めた調査捕鯨に疑問を持った。まず素朴に感ずるのは、クジラの棲息数などを調べるのに何故1000頭といった数の捕獲をしなければならないかという疑問である。調査捕鯨は英語でscientific-researchと呼ぶが、まさに科学調査なら大量の捕獲は必要なく、反捕鯨団体が「商業捕鯨」と指摘するのも頷ける。国際捕鯨委員会(IWC)の商業捕鯨モラトリアム決議に対してとった逃げ道の感は拭えない。そしてもう一つの疑問は、万が一モラトリアムが解除されても、遠洋の商業捕鯨が成り立つかという点である。どう考えてもノーである。記事にある通り、鯨肉は市場で供給過剰になっていて、採算は取れないだろう。調査捕鯨は莫大な税金の支出によって成立しているが、民間の漁業会社が手を出すとは考えにくい。河北新報の記事「便乗予算/震災名目、支出に疑問符/省庁主導、構想力欠く」によると、南極海で操業する調査捕鯨船を反捕鯨団体の妨害から守る費用として国は昨年度、22億8400万円の予算を付けたそうである。

こうなると調査捕鯨の正当性にまで疑いの目が向けられるても仕方ないのではないだろうか。調査捕鯨をやめると例の反捕鯨団体シーシェパードに屈すると考える人がいるかもしれないが、実は逆である。彼らが日本の捕鯨船と派手な立ち回りをすればするほど喝采を送るシンパが世界には山ほどいることを忘れてはならない。それを巧みに利用、資金稼ぎをしているわけで、シーシェパードを育てたのは日本と言い換えても差し障りがないだろう。逆に彼らの妨害行動ゆえに、鯨肉は食べなくても調査捕鯨を支持する日本人がいることも注視すべきだろう。南極海での捕鯨をやめれば、シーシェパードは運動の大義を失い衰微するだろう。理不尽な調査捕鯨をやめ、細々と続いている沿岸捕鯨のテコ入れをすべきではないだろうか。蛇足ながら私は鯨肉料理が好きで、大阪・道頓堀にある「たこ梅」のサエズリ(舌)のおでんは絶品だと思うし、オノミの刺身やベーコンを食べたい衝動に駆られることがしばしばだ。いずれも今や高級食材で簡単に食べられるというものではないが。というわけで反捕鯨論者でないことを付け加えておきたい。

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