2017年7月18日

三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へ行かなくちゃ

イノダコーヒ本店(京都市中京区堺町通三条下る)

私はコーヒーが好きである。そして京都の古い喫茶店が好きである。四条河原町界隈の「フランソワ」「ソワレ」「築地」、西陣の「静香」、京大前の「進々堂」、そして三条通界隈の「六曜社」や「イノダコーヒ」など、それぞれ特徴があり、魅力的である。ところで最近、スターバックスが二寧坂の京町家を利用した店を出して話題になったが、行くつもりは毛頭ない。何故か。スターバックスは京都に何と26も店舗を有している。そのスタイルは、ある種、日本の喫茶店文化を浸食しているといっても過言ではない。そして遺伝子組み換え作物で悪名高いモンサント社をめぐり、2014年11月24日、ニール・ヤングが公開書簡で 「さようならスターバックス」と宣言、自らの公式サイトに「これまで毎日列に並んでラテを買ってきたが昨日が最後になった」と訴えて話題を呼んだ。尊敬するミュージシャンの排斥運動だけに、大いなる刺激と影響を受けたのは言うまでもない。それ以来、スターバックスから足が遠のいてしまった。
三条へ行かなくちゃ
三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね
あの娘に逢いに
なに 好きなコーヒーを少しばかり

お早よう かわい娘ちゃん
ご機嫌いかが?
一緒にどう 少しばかりってのを
オレの好きなコーヒーを少しばかり

いい娘だな
本当にいい娘だな
ねえ あついのをおねがい
そう あついのをおねがい
そう 最後の一滴が勝負さ
才レの好きなコーヒーを少しばかり

あんたもどう?
少しばかりってのを
これは亡き高田渡さんの名曲『珈琲不演唱』(コーヒーブルース)だが、残念ながら彼とイノダでコーヒーを飲んだことはない。東京に住んでいたころ、吉祥寺の「ボガ」によく一緒に行ったことを懐かしく思い出す。お酒とコーヒーが好きな人だった。イノダを歌った『珈琲不演唱』はずいぶん店の宣伝になったと思われるが、頼まれて作ったCMソングでは決してない。一番美味しいコーヒーいれ方と訊かれれば、迷わず片ネルで濾す、と答えることにしている。本店のすぐ近くにあるイノダ三条支店では、ドーナツ状の円形カウンターの内側で、片ネルのドリッパーを使って淹れている様子がよく見える。コクと香りがあり最高である。嗚呼、コーヒーが飲みたくなった、三条へ行かなくちゃ、三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね。

video  高田渡『珈琲不演唱』(コーヒーブルース)1971年

2017年7月15日

生物多様性アクション大賞 2017活動募集


募集期間2017年7月15日(土)から9月18日(月)まで
募集対象日本国内に活動拠点がある団体・個人
応募資格日本国内を拠点とする活動であること
生物多様性の保全や持続可能な利用に貢献する活動であること
応募の段階で活動実績があること
継続性が見込まれること
特定の政党や宗教の布教を目的として活動する団体ではないこと
公序良俗に反する活動ではないこと
実施部門たべよう部門
ふれよう部門
つたえよう部門
まもろう部門
えらぼう部門
主催団体国連生物多様性の10年日本委員会
特設サイトhttp://5actions.jp/award2017/

2017年7月14日

第16回京都現代写真作家展 京都写真ビエンナーレ2017 作品募集

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応  募:2017年9月1日(金)~9月15日(金)消印有効
会  期:2017年12月13日(水)~12月17日(日)
会  場:京都文化博物館5階(京都市中京区三条通高倉角)075-222-0888
主  催:京都府・京都現代写真作家展実行委員会

PDF  応募案内(PDF 3.31MB) 表紙(PDF 2.10MB) の表示とダウンロード

2017年7月13日

ソーシャルメディア Google+ を活用する

目立たない Google+ だけど

インターネットマーケティング会社 DreamGrow の統計ページによると、2017年7月1日現在のソーシャルメディア(SNS)の世界ランキングは (1)Facebook (2)YouTube (3)Instagram (4)Twitter (5)Reddit だったそうである。Google+(以下 G+ と略)は11位だったが、国内では LINE が跋扈しているだろうし、もっと下位と想像される。当ブログは連動していて、ここに投稿すると、自動的に G+ に反映しする仕組みになっている。G+ のフォロワーは現在 1,219 人だが、最近調べたところ、積極的に活用しているユーザーは少ないようだ。Google のアカウントを所持してるだけの人が多いのかもしれない。ところがフォロワーに限定されないコミュニティ、例えば私が参加している Blogspot は 243,150人のメンバーを有している。Facebook で私が関わっている最大グループ Old Time Photos が 49,143人だから、世界レベルでは G+ はそれなりに健闘しているようだ。健闘しているだけではない、実は G+ が SEO 対策にも多大な影響があることを最近知ったのである。SEO 対策というのは、Yahoo や Bing ではなく、基本的には Google 検索に対するものと言って良いだろう。例えば1,000人のフォロワーがいたとして、その1,000人が Google 検索を使うと、その分だけ自分のコンテンツを上位に押し上げるらしい。さらに G+ への投稿がウェブページ扱いとなり、検索エンジンにインデックスされるという。これは個人ブロガーにとってはかなり大きなメリットなのかもしれない。ブログはアフィリエイト広告による収益を目的にしない限り、読者をいたずらに増やしても如何とは思う。しかし読者が増えることはブログ更新の励みにもなる。たいした手間ではないので、G+ にも投稿することをお勧めしたい。

2017年7月9日

祇園祭長刀鉾天王人形の謎

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左の絵は竹原春朝斎『都名所図会』安栄9(1780)年、右は二代歌川広重『諸国名所百景』安政6(1859)年に描かれた祇園祭長刀鉾である。竹原春朝斎の絵は比較のため右ページを省いたが、左上に「鉾に乗る人の競(きほ)ひも都哉」という榎本其角の句が見える。二代歌川広重の絵はおよそ80年後に描かれたのだが、大胆な構図になっている。仔細に観察すると、両者には共通点がたくさんある。町家一階の格子、提灯、二階から鉾をを見守る人々、いずれも非常によく似ている。記録によれば、巡行は四条通から寺町通を南下している。鴨川らしき光景が描かれているが、このアングルで本当に見えたか怪しい。漠然と疑いを持つようになったのはこの点からだった。私は浮世絵の研究家でないし、この二つの絵を比較検討した文献が存在するのか不明だが、二代歌川広重は、竹原春朝斎の絵を模倣した可能性があると想像している。つまりそれほどに都名所図会は、当時、ポピュラーだったと言えるのではないかと思う。

長刀鉾天王人形の部分拡大図
さらに注目すべきは、鉾頭の下にある天王台の人形である。これは鉾の守護神、和泉小次郎親衡(ちかひら)像である。小舟を操り、三条小鍛冶宗近作の大長刀を振るい、山河を縦横無尽に駆け巡ったといわれる、強力無双の源氏の武将である。小屋根の下に結いつけられているが、舟も真木に括られている。現在この人形は僅か23センチの木彫り、路上からは双眼鏡あるいは野鳥観察用望遠鏡などを使わないと観察できない。竹原春朝斎は鉾建て前にスケッチしたのだろうか。二代歌川広重の絵は若干描き込んでるものの、これまた両者は酷似している。ただ小屋根や台座はそっくりだが、長刀の刃の向きの上下が逆なのが気になる。武道に関しては不案内だが、太刀や長刀は突くか、振り下ろす武器だから、後者の構え方のほうが自然ではないだろうか。とすれば、気になる部分を修正したのではないか、というのが私の推論である。明日から山鉾建てが始まるのだが、何年か前に見物したけど、天王人形を撮ることができなかった。人形は最後に取り付けるのだが、作業の邪魔になるので近づけなかったのである。今年は時間を割いて見物したいと思っている。

松本元『祇園祭細見』より
天王人形は昭和61(1986)年に作り直された。京都新聞2009年7月12日の記事によると、人形を制作した有職御人形司十二世の伊東久重氏は、その祖父が新調した人形を参考に復原制作したという。祖先である桝屋庄五郎が享保11(1726)年に作ったものが元になっているという。侍烏帽子(えぼし)に直垂姿で、右手に大長刀を持ち、左肩に小舟を担いだ勇壮な姿をしてると語っているが、伊東久重氏の長男、建一氏が写真をウェブサイト「伊東建一御所人形の世界」に掲載している。これを見ると昭和52(1977)年に発刊された松本元『祇園祭細見』のさし絵の通りである。確かに肩に小舟を担いでいるが、都名所図会とは大きく異なる。実際に古い人形を手にし、復原した伊東氏の証言が間違いとは言い難い。桝屋庄五郎作の人形が意匠変更されず、そっくり継承されたのなら、竹原春朝斎や二代歌川広重が描いた絵が間違いとなってしまう。新聞を読んだ当時、この点が気になって、天王人形を制作した伊東久重氏に直接電話でお訊ねしたことがある。「享保11(1726)年に作られた人形の傷みが酷く、昭和29(1954)年に祖父が制作し直した。昭和60(1985)年の鉾建ての際に損傷、翌年に作り直すことになった。人形の目や口の筆跡がはっきり残り、装束も崩れてなかったので、これを参考に復原した」そうである。するとやはり竹原春朝斎や二代歌川広重が描写した天王人形の絵は正確なものではないということになるのだろうか。いや、違う。実際に見た竹原春朝斎がわざと違う像を捏造したとは考え難い。遥かなる時間の波に漂い、歴史が混沌と化してしまったようだ。