2011年9月8日

初秋の黒谷と真如堂を巡る

南無阿彌陀佛 金戒光明寺(京都市左京区黒谷町) Fujifilm Finepix X100

阿弥陀如来 真如堂(左京区浄土寺真如町)
天高くという表現にぴったりの青空、湿度も低く、京都はもうすっかり初秋の気配がする。真如堂(真正極楽寺)を直に訪れるなら、東側にある急勾配配の石段を登れば早く辿りつく。しかし一月に足首を骨折してからは、足を庇うように、緩やかな道程を辿ることが多くなった。市バス岡崎神社前で降りて、黒谷さん(金戒光明寺)の南参道をゆっくり進み、本堂の手前で右に曲がり、文殊塔に至る石段を登る。今度は再び方向を北へ転じ、勾配のない道を歩くと、法然上人が紫雲光明を見たという紫雲石のある西雲院に辿りつく。さらに北へ進むと真如堂の境内に入る。途中夥しい数の墓石の中を通り抜けてきたが、懲りずに本堂南側の墓地に足を踏み入れた。隅に無縁の墓石が積まれているが、頭が欠けた小さな石仏が何体か見える。いずれも丸彫りゆえ、首の部分が脆く、頭部を支えきれなくなったのだろう。例えば化野念仏寺にある小石仏はこんなことはない。庶民が死者を弔うために彫ったもので、それ故に素朴な作りで、風雪に輪郭が衰えても頭部が落ちるということはない。俳人向井去来の墓があり、説明金属板に「涼しさの野山にみつる念仏かな」の句が刻まれている。墓地は低い土手と垣根に囲まれているが、その反対側、つまり本堂の南側にコンクリートで固められた地蔵の雛段がある。これはこれで見事なのだが、大きな阿弥陀如来露仏の裏側の土手に小石仏群がある。青銅製の大きな阿弥陀如来坐像に目を奪われ、ひっそり佇む石造の阿弥陀如来坐像に気付く人は少ないようにみえる。この坐像は私のお気に入りで、これまで何度も写真に撮ったが、ピンホールカメラで撮ったものが一番良いと思っている。カメラをバッグに戻した私は、千体地蔵堂前に出た。爽風が通り抜け、木々の葉が騒いでいる。晩秋にはきっと壮絶な紅葉になるだろう。

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