2011年10月15日

人形よ誰がつくりしか誰に愛されしか知らねども

人形たち  宝鏡寺(京都市上京区寺之内通堀川東入る)  Fujifilm Finepix X100

昨日、人形供養祭があったので宝鏡寺に出かけた。同寺のホームページには「中世京洛に栄えていました尼五山第一位の景愛寺の法灯を今に受け継ぐ宝鏡寺です」とある。尼五山とは室町時代に五山の制に倣って尼寺に導入された臨済宗の寺格で、景愛寺、檀林寺、護念寺、恵林寺、通玄寺のことだそうだ。京都市上京区西五辻東町にあった景愛寺は建治3(1277)年に開山、二百年後の明応7(1498)年に焼失したが再建されなかった。宝鏡寺はその景愛寺の第六世で、厳天皇の皇女華林宮惠厳禅尼が応安(1368~1375)年間に開山したと伝えられている。門跡寺院ゆえ皇女たちが尼僧となって寺に入り、御所から人形が贈られたが、宝鏡寺はその多くを保存しているようだ。戦後その人形を一般公開することになり、併せて秋に人形供養祭が営まれるようになったという。供養祭は御所人形の彫像を祀った人形塚で行われた。台座には武者小路実篤が詠んだ歌が刻まれている。
人形よ誰がつくりしか誰に愛されしか知らねども愛された事実こそ汝が成仏の誠なれ
献茶、献花の後、尼僧が「観音経」を読経する中、関係者や一般の人々による焼香が行われた。京人形商工業協同組合のホームページには「持ち寄られたお人形がお火上げされ、その灰が境内の人形塚に納められます」とあるが、人形たちは境内の一角に敷かれた茣蓙に並べられたままで、紙のひとがたを燃やした灰の一部が人形塚の中に納められただけだった。かつて私は上野寛永寺清水観音堂で行われた人形供養で実際に荼毘(だび)にふされるシーンを見たことがある。炎に包またその姿は、いかに人形とは言え、目を逸らしたくなったことを憶えている。だから宝鏡寺では一般の目前では火葬をしないのだろう。人形は文字通り「ひとがた」なのだから。

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