2012年1月30日

気になる出処不明写真の共有


Terrace Field Yunnan, China by Jialiang Gao (From Wikimedia Commons

美しい棚田の写真がFacebookで目に止まったのでシェアしたところ、たくさんの「いいね」というフィードバックがあった。ちょっと気になり、改めて写真説明を見直したところ「Polja pirinca - Yunnan, Kina」とあり、翻訳ツールを使ってみたらセルビア語で「中国雲南省の水田」という意味であることが分かった。ShATROというページの写真アルバムに掲載されているのだが、撮影者の名前がわからない。試しにグーグルの画像検索にかけてみたところ、フリーユース・メディア「ウィキメディア・コモンズ」に登録されてる画像であることが判明した。2007年の第2回ウィキメディア・コモンズ 「年間画像大賞」コンテストの優秀作に選ばれているもので、撮影者はJialiangGao氏。さらに検索を続けると、雲南省元陽の棚田を空撮したものであることが分かった。ドイツのサイトPodCast.deには「この棚田は、この場所の少数民族ハニ族によって、何世紀にも渡って維持されてきました。彼らの独自の伝統様式を動画で見てみよう、約12万ヘクタールもの棚田が、チベット高原に広がっています。長い時間をかけて、この険しい山肌をこつこつと開墾してきました」という詳しい説明がついている。ウィキメディア・コモンズの履歴を見ると95のサイトにリンクされているし、相当数のダウンロードが行われたようだ。転載可の画像なので、ネットを一人歩き、Facebookに流れ着いたと想像される。FacebookやGoogle+などのソーシャルメディアには興味深い写真がたくさん掲載されているが、出処不明の作品が多いという感触を私は持っている。優れた写真が広く流布することは良いのだが、著作権という観点に立つと、疑問符を打たざるを得ないケースがいささか気になる。安易な転載やシェアは避け、少なくとも作者が分かるものだけを流用すべきだと痛感した次第である。

2012年1月27日

コダクロームの思い出


Cayar Beach, Senegal  March 1976 LeicaM4 Elmarit28mmF2.8 Kodachrome64

歳を重ねるとすべての記憶が曖昧になるが、1972年のことはいろいろ憶えている。朝日新聞神戸支局から同東京本社出版写真部へ赴任したが、2月、長野県軽井沢町で起きた「あさま山荘事件」の現場に放り込まれたからだ。いつかこの取材について記述したいが、今回はちょっと脇道に逸れる。新聞から週刊、月刊誌の仕事に変わったわけだが、当時の雑誌取材のカラーフィルムはコダックのエクタクロームが主流であった。しかし私は好んでコダクロームを使うことにした。外式、つまり現像時点で染料を入れるシステムで、従って処理は東洋現像所など一部に限られていたし、時間もかかり、報道にはむしろ向いていないフィルムだった。それでも使ったのは、色調が好きだったし、耐変褪色性に優れていたからだ。ナショナルジオグラッフィック誌のスタッフカメラマンが多用していたことも印象に残っている。ポール・サイモンの「コダクローム」がヒットしたのは1973年だが、この曲の影響を受けたから、というと嘘になる。ライカとコダクローム、この組み合わせは私にとって究極の存在といっても過言ではなかった。この二つが自分の手元から離れるとは夢にも思っていなかったのだが、先日当ブログに「崩壊の危機に追い込まれたコダック王国の衝撃」で触れたように、富士フイルムが1990年3月に発売したベルビアがコダクロームを駆逐する事態になったのである。ベルビア開発に携わった技術者から「外式を作る技術を持っているが、あえて内式にした」という説明を受けたのを思い出す。耐変褪色性に関してはコダクロームに十分対抗できるということだった。そのコダクロームの製造打ち切りをコダックが発表したのは2009年6月だった。そして2012年1月、コダックそのものが瀕死状態にある。

2012年1月22日

英文ブログをリメイク


昨年秋、英文ブログの写真を大きく掲載するために引越した。旧ブログをはそのまま削除せずに残してあったが、やはり活用しようということで、リメイクして「Kyoto Photo Press」を新たに立ち上げた。この日本語ブログと合わせると3サイトになってしまった。といっても表題通り主に写真情報を伝達するだけなので、余り手間はかからないと思う。第1回はリー・ジェフリー氏によるホームレスのポートレート作品の紹介である。

2012年1月12日

JPS会員による「プロフェショナル52人の仕事」写真展


日 時:2012年2月9日(木)~2月12日(日)11:00~19:00
会 場みなとらいギャラリー
               横浜市西区みなとみらい2-3-5クイーンズスクエア横浜クイーンモール 2 階
               TEL 045-682-2010 FAX 045-682-2112
主 催:一般社団法人カメラ映像機器工業会(CIPA)

出展者:2011JPS展の会員作品を中心に展示
伊藤孝司/宇井眞紀子/宇苗満/江口友一/老川良一/大竹静市郎/大津茂巳/大塚努/金崎ただとし/河相正名/川廷昌弘/川村容一/木村一成/木村尚達/草木勝/久保田亜矢/熊切圭介/熊切大輔/栗原達男/小出誠/小西忠一/小橋健一/小平博之/櫻井浩一朗/渋谷利雄/清水薫/杉森雄幸/鈴木一雄/平寿夫/髙井潔/髙木岑生/髙村規/武田直/田中博/田沼武能/中川幸作/西岡比古司/福島正造/藤井博信/本田祐造/松成由起子/松本徳彦/三浦誠/水越武/森田一朗/森田雅章/森谷洋至/山岡正剛/山田興司/山田訓生/横田敦史/渡部晋也

公益社団法人日本写真家協会: 東京都千代田区一番町25番地JCIIビル303 TEL:03-3265-745

2012年1月7日

変幻自在チカラさんの京都タワー


渡辺チカラ「京都タワー」 (マットサンダース紙にガッシュ&アクリル絵の具)

昨年暮れ京都在住のアーティスト、渡辺チカラさんの個展に伺ったところ、オヤ?と思う作品が目に止まった。京都タワーである。チカラさんの作品ジャンルは多岐に渡るが、私にとっては映画「アメリカン・グラフィティ」をと彷彿とさせる作品群が印象深い。だから京都の風景、例えば東寺の五重塔や龍安寺の石庭などのテーマはちょっと意外だったが、独特のタッチで魅力に溢れている。さて京都タワーだが、この建築物、私はどうしても好きになれない。昭和39(1964)年というから東海道新幹線開通とほぼ同じ時期に開業したことになる。建設計画に対しては侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論があったという。というより京都の景観論争の原点になったものである。蝋燭(ろうそく)を模したものだという説が一般的だが、実は和歌山県の潮岬灯台をモデルにしたものだという。そういえばかつて京都の目印は東寺の五重塔だったが、今ではこのタワーが灯台の役割をしている感がある。それはともかく、私はやっぱり好きになれない。それをチカラさんは絵にした。そして私はこの絵がすっかり気に入り、今は我が家の壁に掛かっている。不思議である。絵は写真と違って、作者が自由にデフォルメできる。私がピンホールやゾーンプレート写真に惹かれるのは、写真の不自由さから脱出したいという潜在意識があるからもしれない。密かにコンテンポラリー・ピクトリアリスム(現代絵画主義写真)じゃないかと思っている。チカラさんに触発されて京都タワーを撮ってみたが、やはり及ばないようだ。

2012年1月6日

崩壊の危機に追い込まれたコダック王国の衝撃


George Eastman and Thomas Edison
米国ウォール・ストリート・ジャーナル紙が4日、イーストマン・コダックが米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を数週間以内に申請する可能性があるため準備していると報じた。同社は保有する特許の一部売却をなお試みており、成功すれば破産法の申請を回避できる可能性があるが、これらの試みが失敗した場合に備えて申請の準備を開始しているという。ショッキングなニュースである。私は1960年代半ば、千葉大学の写真工学科に属していたが、ロチェスター(コダックの所在地)を日本の写真業界が追い越すというのは想像外であった。コダックの歴史を俯瞰すると、何と言ってもその功績は、写真の大衆化に寄与したことだろう。ジョージ・イーストマンが紙に乾燥ゲルを塗布する方式を開発したのは1884年、人々は乾板や薬剤を持ち歩く必要がなくなった。1888年にコダックカメラが設立され「あなたはボタンを押すだけ、後はコダックが全部やります」という有名なキャッチフレーズが生まれた。極め付きは1900年に登場したボックスカメラ「ブラウニー」だった。ブラウニーはスコットランドの妖精だが、さしずめ現代のピカチューといったところだろう。余談ながら120や220のロールフィルムを日本ではブローニーと呼ぶ人がいるが、これはブラウニーが訛ったものである。爾来、コダックは20世紀の写真業界の王道を走り抜けてきた。その王国が崩壊寸前の窮地に立っているという。今思えば、異変を感じたのは1990年、富士フイルムからカラーリバーサルフィルム「ベルビア」が発売になった頃だった。戦後、このタイプのフィルムといえば、コダクロームやエクタークロームなど、コダック製品が独占していたが、これを凌駕する国産フィルムが出たのである。それからモノクロ印画紙の生産を中止したのも意外であった。フィルムを売って印画紙を売らないとは変だと感じたが、株主の意向という噂もあった。ではデジタルカメラはどうだったか。これも日本製に先を越された感じであった。ガラガラと音を立てて車輪が坂を転げ落ち始め、倒産寸前に追い込まれているのである。行方を見守りたい。

2012年1月2日

口あいて落花ながむる子は佛


仏花 東本願寺大谷祖廟(京都市東山区円山町)Sony NEX-5 + Zoneplate

東大谷墓地に家人の実家の墓があるので、毎正月に墓参りするのが欠かせぬ習慣になってしまった。墓地は大谷祖廟に隣接しているが、この御廟の雰囲気が私は好きだ。臨時の花壇が作られていて、夥しい数の花とともに、花文字が形どられている。今年は「同胞」である。親鸞聖人は『歎異抄』に「弟子一人も持たず候」と書いた。つまり念仏は弟子を教化する教えではない、人間関係は上下に関係なく、本当の友だち、すなわち同胞だと説いたという。美しくおごそかに飾ること、仏教では荘厳(しょうごん)と呼ぶ。廟に供えられた仏花が溢れ、この花壇に流用されるという。このような花の再利用を再荘厳と呼ぶそうだ。境内の一角に句碑があり「口あいて落花ながむる子は佛」と刻まれている。真宗大谷派第二十三世法主の彰如上人が詠んだものだ。

2012年1月1日

あけましておめでとうございます


双龍図 建仁寺(京都市東山区大和大路通四条下る)NikonD700 Nikkor28-70mm F2.8

謹賀新年。今年は辰年、これにちなんだ龍の天井画をお届けしたい。これまで年賀状は干支に関係ない図柄ばかりだったが、今年この写真を使った。建仁寺法堂にあるもので、同寺創建800年を記念して2002年に奉納された。作者は小泉淳作氏。大きさが11.4×15.7メートル、たたみ108畳分と巨大で、北海道帯広市郊外の廃校で制作したものだという。

参考臨済宗黄檗宗各派本山の雲龍図