2012年5月11日

京都水族館は何故できてしまったのか

ミズクラゲ  京都水族館(京都市下京区観喜寺町)  NikonD700 Nikkor28-70mmF2.8

ゴールデンウィークも過ぎて客足も減ったのでは、ということで梅小路公園内の京都水族館に出かけてみた。数多くの異論を押しのけ、3月14日にオープンした話題の水族館である。ツイッターなどの意見を私なりに分析すると、建設反対意見で一番多かったのは、京都に水族館はいらないというものであった。つまり「京都」というキーワードが強調された意見で、含みを持っている。大阪の海遊館は認めるが、内陸の古都には相応しくない、と集約できるだろう。だがしかし何故京都に建設しては駄目なのか、やや突っ込みに欠けるような気がする。私自身は水族館そのものの存在意義の是非を議論を期待したのだが、どうだっただろう。例えば動物園の存在を否定する意見がある。確かにゾウやライオン、ゴリラなどの野生動物を動物園で見ると考え込んでしまう。子どもたちへの教育効果を考えれば逆ではないかと思ってしまう。では水族館はどうだろう。欧米ではピート・シンガー『動物の権利』に代表される動物解放論が盛んである。

例えば釣った魚をリリースすることを美徳とする人がいるが、魚もまた苦痛を感ずるという異論もあるのである。それなら哺乳類のイルカは苦しみを感ずるに違いない、という主張があっても不思議ではない。といった論議がもっと深まればと期待したが、スケジュール通り水族館は開館してしまった。何故だろう。結局、一般市民へ疑問点が浸透しなかったからではないだろうか。某政党が割り込んだのも問題で、それを嫌って純粋の市民運動が萎えたという観測もあるようだ。に私個人としては、漠然と京都に水族館があっても良いと思っていたが、生態とかけ離れたイルカショーは反対だった。ショーができないなら、オリックスは建設を断念しただろう。ひな形である同社経営の新江ノ島水族館の目玉はイルカショーだからだ。蛇足ながら、今日はミズクラゲの水槽が楽しかった。日本近海に多数棲息するこのような海洋生物でも十分見るに値する。それだけじゃ人が集まらないとオリックスは言うに違いないが。

0 件のコメント: