2012年6月3日

ドク・ワトソンの死


ドク・ワトソンが先月29日、米ノースカロライナ州の病院で死去した。すぐに当ブログに書くつもりだったが、新設したばかりのFacebookページ「アメリカンルーツ音楽」に投稿したりして忙しく、今日まで延び延びになってしまった。ドク・ワトソンは1923年生まれで、幼児に失明した。音楽一家に生まれたが、格好の先生はラジオとレコードで、ヒルビリーを聴いて育った。フラットピックを使った速弾きで知られているが、これは彼が聴き親しんだデルモア・ブラザーズ(左: Brown's Ferry Blues)の影響を少なからず受けていると想像する。スリーフィンガー奏法は、息子にマールと名付けたことで分かるように、マール・トラヴィスの影響を受けている。ドクが広く世間に知られるようになったのは、1950年代末から60年代初頭に開催された、ニューポートのフォークフェスティバルでクラレンス・トム・アシュレイと共演したことに始まる。ふたりを引き合わせたのはニューヨークのブルーグラスバンド、グリーンブライア・ボーイズのラルフ・リンズラーだった。同フェスティヴァルはアメリカのフォークリバイバル運動に呼応して始まったものだが、都会の青年がノースカロライナ育ちのドクを新しい音楽シーンに誘い込んだのである。ブルーグラスは単に商業音楽の一ジャンルではなく、アメリカンルーツ音楽に深く根ざしてる。当然のことのようにドクはブルーグラス音楽の世界に踏み入れ、ビル・モンローやアール・スクラッグスなどと共演するようになった。彼のギター奏法はブルーグラスギタリストに、言葉では言い尽くせないほどの強い啓示を与えたといえる。自宅で倒れ入院、腹部の手術を受けたが、帰らぬ人となった。89歳だった。葬儀は生まれ故郷ディープキャップのロウレル・スプリング・バプティスト教会で現地時間6月3日の午後3時に行われるという。

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