2012年8月19日

韓国大統領の竹島上陸より天皇の謝罪要求発言を問題視


長久保赤水「改正日本輿地路程全図」(部分) 安永4(1775)年

もう10年以上前になると記憶しているが、伊勢市の皇學館大学の資料室に、一葉の小さな写真が飾られていた。明仁(平成)天皇の即位、いわゆる大嘗祭(だいじょうさい)のひとコマと思われたが、多くの謎に満ちた神事に想像を巡らしたものである。私たちが知らないところで、天皇の神格化が連綿と伝承されていると直観、戸惑いと戦慄を禁じ得なかった。裕仁(昭和)天皇が戦犯とはならず、皇室制度が存続した背景には、その存在が少なくとも当時の日本人の精神的土壌に欠かせないものであったからだろう。昨18日の朝鮮日報日本語版に「韓中日新冷戦:独島訪問より天皇謝罪要求に強い反発」という記事が掲載されたが、おおむねその通りだろうと思った。竹島上陸だけだったらこれだけの騒ぎにならなかっただろう。ただ文中の「裕仁天皇(昭和天皇)は1945年に日本の敗戦が決まると、自分は神ではないとする「人間宣言」を行ったが、日本人の多くは依然として天皇を神のような存在と考えている」というくだりには、違和感を感ずる人が多いに違いない。

戦後67年を経過した今、すべての世代がこのように考えてるとは到底思えないからだ。それはともかく、韓国の大統領の発言は、戸惑いと共に強い反発を感じた人は少なくない筈だ。それを受けてだろう、政府は竹島(韓国名・独島)の領有権問題で、近く国際司法裁判所に提訴するそうだ。日本が領有権を主張する根拠は、竹島を1905(明治38)年に島根県に編入したという史実。そして1952(昭和27)年発効のサンフランシスコ講和条約では、日本が放棄すべき地域に含まれなかったというものだ。これに対し韓国は、島根県への編入は日本の植民地支配の過程で行われたから無効だと反発しているわけである。ちなみに韓国併合は1910(明治43)年である。日本が「韓国の外交権を奪ったのと同じ時期に竹島を領土にした」という韓国の主張に対抗するには、古地図や古文書の分析も含めて、科学的に綿密、かつ相当な作業を強いられに違いない。領土問題は「愛国精神」を喚起し、お互いに感情的になりがちである。冷静な議論が望まれる。

日本における竹島の認知(外務省):現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。(続きを読む…

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