2012年8月3日

文楽弾圧で晒された橋下徹の無知

淡路人形浄瑠璃 鬼一法眼三略巻五条橋の段(第22回淡路人形後継者団体発表会) 撮影:沼田浩孝

大阪の橋下徹市長が文楽協会を弾圧している。入れ墨問題に触れた拙文「大阪の橋下市長は希代の文化破壊者」では谷崎潤一郎の小説『刺青』を引用したが、今回は同じ作家の『蓼喰う虫』を取り上げてみたい。この小説の連載が大阪毎日新聞、東京日日新聞で始まったのは昭和3(1928)年12月、今から80年以上前になる。要(かなめ)、美佐子の夫婦仲は冷え切っている。人形芝居好きの美佐子の父の誘いで二人は人形浄瑠璃見物に出かける。
「それより何より、この客足じゃ引き合わないから松竹が金を出しやしない。こんな物こそむずかしく言うと大阪の郷土芸能なんだから、だれか篤志家が出て来なけりゃならないんだが。」
「どう、お父さんがお出しになったら?」
と横合いから美佐子が交ぜっ返した。老人は真顔で受けながら、
「私は大阪人じゃないから、……これはやっぱり大阪人の義務だと思うよ。」
『蓼喰う虫』(岩波文庫)
明治末期に文楽座が唯一の人形浄瑠璃専門の劇場となったため「文楽」の名が冠されるようになった。一行が出かけたのは道頓堀の弁天座である。興業権は松竹が持っていたが、このくだりのように客入りが悪く、当時から財政難であったことが窺われる。重要無形文化財に指定されたのは昭和30(1955)年だが、かなり経営は難しかったようで、松竹は昭和38(1963)年になって文楽から撤退する。貴重な伝統芸能を守るため、大阪府、大阪市を主体に文部省、NHKの後援を受けた財団法人文楽協会が発足した。国が面倒をみるべきだという橋下徹の主張は、国の重要無形文化財だからということなのだろうけど、見当違いであることがこのいきさつから分かる。補助金をカットするということは、大阪市が協会から脱退することに他ならないからだ。文楽は世界文化遺産でもある。これを守るのは大阪市の義務なのである。さて小説を読み進めてみよう。美佐子の父は人形芝居好きの京都人だが、文楽見物の際には自家製の幕の内弁当を詰めた漆塗りの蒔絵の重箱と、朱塗りの酒盃を持参、妾に酒を注がせる。

淡路島の人形浄瑠璃を観に行く時にもそうで、歌舞伎を含め、芝居見物というのは重箱の弁当を食べながら観ることが一般的なものだった。つまり総合的な娯楽であり、洒脱な趣味でもあった。吉本興業のお笑い芸人たちのダジャレしか知らない橋下徹にとって、真の意味の洒落は理解できないのだろう。蛇足ながら能楽を理解するには謡曲の知識が必要なように、文楽を理解するには浄瑠璃の知識が必要である。瀬戸内寂聴尼に「橋下さんは一度だけ文楽を見てつまらないと言ったそうですが、何度も見たらいい。それでも分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから」と痛烈に揶揄された。よほど悔しかったのだろう「ぼくから言わせると瀬戸内さんにもセンスはない」と反論したそうだが、これは古典文学に造詣が深い寂聴尼に対しては犬の遠吠えに等しい。自らの無知を世間に晒したのも同然だろう。淡路島の人形浄瑠璃は消滅の危機に晒されていたのだが、伝統芸能を守ろうとする人々の力で1964年に淡路人形座が生まれ、その後淡路島の1市10町が協力し淡路人形協会が発足して今日に至っている。海外公演も数多く行い、淡路島の宣伝に寄与している。海外から観光客を呼ぶ格好の素材であり、これを橋下徹は弾圧しているのである。大阪市民はトンデモナイ文化オンチを首長にしてしまったことに気づいて欲しい。

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