2012年10月29日

高校時代の追憶の走馬灯がぐるぐるフル回転状態になった

赤灯台  内浦湾(千葉県鴨川市内浦)Fujifilm Finepix X100

日蓮上人の生誕地、房総半島の安房小湊に出かけた。母校千葉県立千葉高等学校の「昭和37年卒の卒業50周年記念同窓会」に出席するためだった。年齢を隠しているつもりはないのだが、ネット上ではどうも若く見られているフシがある。しかし昭和37(1962)年に高校を出てるわけだから、かなり歳を重ねてることが理解いただけると思う。これまで何度か学年同窓会への誘いを受けたのだが、参加したのは初めてだった。やはり50周年に誘われたのだろう。大学時代までは若干あったが、それ以降は同窓生と付き合うことがなかった。関西に移り住んだことが疎遠にしたのかもしれない。会場について周りを見渡しても、顔と名前がまるで一致しない。ただ不思議なもので、女性に関しては何人かの記憶が蘇った。当時一学年400人のうち、女子生徒はその一割強しかいなかった。だからというのが理由になるか不明だが、中学、高校と一緒だった女性のことは鮮明に思い出すことができた。一割といえば、その数だけ他界してしまったという。やはり歳を重ねたしまった故の寂しさを禁じ得ない。会計報告などがあった後、全員の記念撮影。そして後は宴会になった。同級生たちと話し込んでゆくうちに、次第に高校時代の思い出が、記憶の底からマグマのように次々と噴き出してきた。

教科書を使わなかった物理の先生、東大にあらずんば大学にあらずというのが口癖だった古文の先生、キングスイングリッシュに徹してアメリカ式発音をしなかった英語の先生、階段下の写真クラブ暗室、在学中にできたカレー食堂、千葉第一高校から千葉高校と校名が変わったこと、そして第二高校から名を変えた女子高校の学園祭にワクワクして出かけたこと、などなど。そして何よりも鮮やかに瞼に浮かび上がったのが木造二階建ての校舎だった。高校二年の夏休み、苦労して読み通したマルタン・デュ・ガールの大河小説『チボー家の人々』に刺激を受けて400字詰め50枚の短編小説を書いたことも思い出した。東京湾にやってきた原子力潜水艦をゴムボートで阻もうとした少年を主人公とした「反戦小説」だった。横須賀港の原潜入港は1966年になってからだったから、いわば未来小説だったといえる。英国での入港阻止のニュース映画に触発され、二階の廊下から東京湾を眺めながら粗筋を練ったものだった。その木造校舎は今は見る影もなく、鉄筋コンクリートの味気ない建物を晒しているようだ。普段は過去を振り返ることを意識的に避けてる私だが、宴会の終盤、校歌斉唱のころには、酒の酔いに加速された追憶の走馬灯がぐるぐるフル回転状態になった。楽しき房総の一夜が過ぎたが、すでに次回を待つ気持ちになっている。

0 件のコメント: