2013年1月6日

縦にも横にも書ける日本語の多様性


最近読んだブログ記事で面白かったは及川卓也氏の「縦書き不要論」である。縦書きでないと実現できないようなユースケースはどういうものだろうか?と質問したところ、なるほどと思わせる回答をしてくれたのは二人だけで、女子中学生(当時)と日本語が堪能なアメリカ人だったという。中学生の答えは、縦書きだと電車の中で本を大きく開かなくても読めるというものだった。アメリカ人の答えは、日本語は縦にも横にも配置できる自由度を持った素晴らしい言語であるという指摘である。これは同感で、後述したい。及川氏はさらに、日本語は縦書きに向いた文字であるという主張を良く聞くが、その科学的な根拠は何だろう、と問いかけている。ずいぶん昔になるが、朝日新聞が横組みの新聞を試作してみたが、やはり縦組みのほうが読みやすいと結論したと聞いたことがある。ただ新聞のフォントは縦組みを意識してやや扁平になっている。横組み用の新たな字体を作ってテストしたかは不明だから、やや説得力に欠けるかもしれない。ご存知の通り同紙は部分的に横組みを採用しているが、基本的に縦組みを維持している。縦書きの場合、かなと漢字および漢数字だけなら問題ないが、洋数字やアルファベットを挿入しようとすると苦労する。新聞が洋数字を使う場合、2ケタの場合は連数字を使うが、その他は1ケタずつ縦に並べてで表示する。メールアドレスなどは横書きしたものを45°回転させてそのまま使っているが、数式や化学式となるとお手上げである。
表紙は横で背表紙は縦組みと日本語は自由自在

だから数式を使う数学や化学の教科書は横書きだし、技術関係の書籍や雑誌も横書きなのである。紙に印刷された新聞が縦組みであっても、電子版は横に組んである。そしてそれを読んでいても何ら違和感を生じない。またこのようなブログを書く場合に使うテキストエディタは無論横書きだが、これまた抵抗感がない。かつて縦書きエディタを使ったことがあるが、ずいぶん戸惑ったものである。左から右へ流れる横書き文字に慣れると、文字が上から下へ流れ、改行のたびに左に移動する縦書きに違和感を覚えたことが思い出される。という経験を踏まえると、縦書きなんかなくてもいいのかなと一瞬思ってしまう。しかし文字は印刷媒体などばかりに使われるわけではない。横長の看板には横書きが相応しい。縦長の看板や、石柱、幟(のぼり)、そして極めつけは本の背表紙である。これらには縦書きが似合うのは自明の理である。洋書店に並んでる書籍の背表紙を眺めていると仕舞に疲れてしまう。これが前述の日本通アメリカ人が絶賛する日本語の多様性の素晴らしさなのである。アマゾンが電子書籍リーダーの日本語版の発売が遅れたのはフォント作りのためだったと聞いたことがある。文学書などはちゃんと縦書きになっているが、これは何らかの事前リサーチをしたのだろうか。それとも紙に印刷された既成の書籍のスタイルを単純かつ無条件に踏襲したのだろうか。

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