2013年6月28日

ギターのブリッジピンを交換してみた

Kawase Master ブリッジピンを交換し弦を張り替えた

黒檀のブリッジピン
何年ぶりだろうか、久しぶりに古いギターを引っ張り出してみた。約30年前に入手した、神田・カワセ楽器のオリジナルで、大きさはクラシックギターと同じである。本当はマーティンのニューヨーク・モデルが欲しかったのだが、とても手を出せる値段ではなかった。調弦したところ第六弦のブリッジピンが浮いてしまった。抜いてみると破損していたので、新しいピンを「アコースティックギター@パーツネット」から取り寄せた。フィドルのブリッジを楽器店で調節して貰ったら驚くほど音質が向上したという経験があるが、ギターにとってもブリッジは重要らしい。ブリッジピンは弦をブリッジの穴に固定するだけのものかと思っていたが、弦の振動を直接受ける重要な役割を持っているパーツだそうである。プラスチック素材もあるが、グレードアップには木材や骨材、角材が良いという。弦もついでに新しいのと取り換えたので、その影響を聴きわけることが難しいが、劇的ではないが、音が良くなったような気がする。ところでクラシックギターは、ガット弦をブリッジに結ぶだけのようだが、ウィーンスタイルのギターを築いたヨハン・ゲオルク・シュタウファー(1778~1853)のギターはブリッジピンが使われていた。その弟子だったオーヴィル・ヘンリー・ギブソン(1856~1918)がアメリカに渡り、シュタウファースタイルのギター作りを始め、鉄弦を使ったアコースティックギターの基礎を固めたのである。蛇足ながらアコギという呼び方はどうしても馴染めない。やはり決して良い意味ではない「阿漕(あこぎ)」を連想してしまうからだ。

2013年6月24日

中道左派あるいはリベラルにとって投票すべき政党がない

2013東京都議会選挙開票結果NHK

東京都議選の結果が出た。自民、公明党の圧勝、民主党の敗北はある程度予想していたが、これほど酷い結果になるとは思っていなかった。唯一の救いは維新の会が議席を減らし、極右勢力の衰退を予感させたたことくらいである。共産党が票を伸ばし、民主党は第4党に転落してしまった。自公への牽制球として共産党に一票を投じた人もいるとは思うが、基本的には組織票である。もし私が都民であったら、やはり民主党に投票しなかったと思うし、白紙あるいは敢えて投ずるなら、消極的ながら共産党だったかもしれない。それほど民主党に裏切られたという気持ちは強い。中道左派、あるいは左派という言葉を嫌うならリベラル、そして無党派層にとって受け皿となる投票すべき政党がない。だから投票所に行かなかった人が多いのだろう。原発やTPPといった大きな課題を抱えながら、直視し難い政治状況に私たちは置かれている。

2013年6月19日

傘をさしたアマガエルの写真のカラクリ


梅雨前線が停滞、台風の影響もあってか、京都は朝から雨が降りっ放し。梅雨らしいといえばそれまでだが、やはり鬱陶しい。さてこの写真は今月に入って、Facebookをはじめ、ネットで広く拡散されたものだ。この「傑作写真」を撮影したのはインドネシアのPenkdix Palmeさん。私はこのような写真を見ると、画像処理ソフトによるものかとまず疑ってしまう悪い癖がある。しかし出来過ぎである。オリジナル写真を探し、作者の他の一連写真から分かったのは、やはり演出写真であるということだ。アマガエルが傘を持っているように見えるが、実は傘を擬した葉は、下の植物に刺したものである。そこにアマガエルを配したジョーク写真に過ぎない。そもそもアマガエルが雨を避けるという発想はオカシイ。とは言え、多くの人々を惹きつけたという点で、そのアイデアと努力には敬服しざるを得ない。

2013年6月18日

時計仕掛けの美しい針孔写真機

Heartbeat I (2012) by Kwanghun Hyun

自作のピンホールカメラをよく見かけるが、これはまさに目を見張る芸術作品だ。時計仕掛けで動く、美しい筺体。文句なしの、脱帽ものだ。作者はソウルの弘益大学校金属造形デザイン学科出身のデザイナー、Kwanghun Hyun氏。下記サイトで、彼の作品群を見ることができる。

(via KWANGHUN HYUN)

2013年6月11日

ぼく、おおきくなったら せんそうにいかなと いけないの?


こう聞かれた時、親は何を言ってやれるでしょうか。現政府は、今このタイミングを逃すまじと法案可決を急いでいます。戦争を始めるための憲法改新かもしれません。原発事故処理作業員を義務化するための総背番号制かもしれません。どちらも低所得者の自由を奪うための包囲網だと思います。でも私はまだ諦めません。

No Nuks  脱原発ポスター展

2013年6月10日

大判8x10黒白フィルムを現像するJOBO#3005を落札した

JOBO Drum Expert #3005    5 sheets 8x10" and 5x7" processing

JOBO Foot Pump 
今月初めに当ブログに投稿した拙文「大判8x10黒白シートフィルムの自家現像」で「8x10のフィルムを5枚いっぺんに処理できるJOBO#3005が欲しいのだが、ちょっと入手困難である」と書いたばかりだが、そのついでにオークションサイトを検索したら、なんと出品されてることが分かった。さっそく落札、今日届いた。これまでは印画紙用のドラムを使っていたが、前述のように暗黒下ではフィルムの装填に難があった。ところがこの#3005はご覧のように5つの孔があいていて、5枚一遍に処理できる。フィルムを丸めて入れるだけなので、装着が簡単である。ところでJOBO社は2010年に倒産したが、品目を絞って生産を継続している。ただ世界的な人気がありながら、生産量が減ったため、入手が困難な状態になっている。例えば米国のオークションサイトeBayに出品されてる価格は670.00米ドルで、65,251円+送料5,064円、合計70,315円と価格が上昇している。それはともかく、取り敢えずテスト現像してみた。そこで気付いたのだが、現像終了後、蓋を外すのが厄介である。調べなおしたところ、足踏み式ポンプが必要で、これも落札した。結構高い買い物だったけど、モノクロ専用ラボに現像依頼すると1,000円強する。というコスト計算ではなく、大事なのは「自分で現像」することではないだろうか。

PDF  JOBO ロータリー式現像タンク #3004-3010 マニュアル

2013年6月9日

自転車に乗ってちょいとそこまで歩きたいから

丸新自転車商会(京都市中京区丸太町新町東入る)

何気なく自転車屋さんを覗いたら、パフパフホーンが目に飛び込んできた。アニマルエアホーンと呼ぶらしいが、動物ばかりではなく、キャラクターは様々である。可愛いのでひとつ買おうと思ったが、自分が自転車を持っていないのに気付いた。初めてスポーツ車を手に入れたは1985年、中京区竹屋町通を堀川通から東に入った自転車店「スポーツサイクルヤマネ」でだった。購入した年を憶えているのは、翌年、自転車を抱えて東京に単身赴任したからだ。何故かこの年、歌をかなり作った。
東京1986年夏

ネジを落した町は軋しんでる
油を切らした歯車がわめいてる
玉川上水の木漏れ日にハンドルとられ
ああここにいる東京1986年夏

人間と人間が複写しあってる
客席の向こうは額縁金色メガネ
大日本帝国劇場は逆さ吊り
ああここにいる東京1986年夏

仲買人は魚の死体をせり落す
築地ダウンタウン名物ガン病棟
新聞記事が墓場の底で大増幅
ああここにいる東京1986年夏

黒塗り止まり木ニセモノromanisches cafe
おすまし六本木はヒソヒソ痴話喧嘩
舞踏会の幕は下りたよシンデレラガール
ああここにいる東京1986年夏

京都発デジタル信号パラボラ反射
Pease on earth 7ポイント5回転
紙オムツの子猫がミンミンミン
ああここにいる東京1986年夏
再び京都に戻ったのは1989年、昭和が終わり、平成が始まった年だった。仕事場が大阪に代わり、京阪電車の出町柳駅まで自転車で通ったことを憶えている。しかしそれがいつまで続いたかは記憶が定かではない。いつの間にかべランダに放置したままになり、廃棄の運命を辿ったようだ。今我が家には一台の自転車があるが、いわゆるママチャリでちょっと乗る気がしない。買うならやはりスポーツ車だ。京都は自転車が似合う町、高田渡の歌が耳に蘇ってきた。

YouTube  自転車にのって / 高田渡+キャラメルママ+矢野顕子(LPアルバム「ごあいさつ」より)

2013年6月7日

絶滅が懸念されるのは鯨ではなく鯨捕り

鯨の解体 夏にミンククジラを20~30頭 冬はタラを捕る (Marcus Bleasdale/National Geographic)

ナショナルジオグラフィック誌6月号が「最後のバイキング鯨捕り」というタイトルで、北極圏に位置するノルウェーのロフォーテン諸島のルポを掲載している。ノルウェーは日本と並ぶ捕鯨大国だが、この国の捕鯨は今や斜陽産業だという。鯨が減ったからではない。ましてや捕鯨をめぐる複雑な政治背景のせいでもない。鯨捕りになりたがる若者がいないというのだ。ノルウェーの捕鯨船はシーシェパードに破壊されたこともある。しかし衰退の原因は反捕鯨運動の影響より、むしろ経済的、社会的な要因のようだ。捕鯨は、元手がかかるが見返りが少ない。首都オスロのしゃれたレストランに鯨のステーキがあっても、鯨肉には大恐慌時代の食べ物、自然保護に反する食材といったイメージがあり、食料品店では冷遇されがちなのだという。ワシントン条約で取引の規制対象に指定されたこともあり、鯨肉の輸出先は事実上ないに等しい。鯨より先に鯨捕りがいなくなりそうだ。北欧の捕鯨の写真は観る機会が少ないのでシェアすることにした。

2013年6月5日

Facebookの広告をブロックするChrome拡張機能を試してみた


迂闊にも最近気付いたのだが、Facebookのタイムラインに通販サイトAmazonのリンクをシェアした書き込みが何度も表示されるのは、実は巧みな広告だということだった。新たにコメントが付いたから再表示される思っていたのだが、その気配はなく、よく見ると小さな「広告」マークが付いている。書籍や音楽CDについて投稿するときにAmazonの商品へリンクさせたものの、広告に使われていること知らない人も多いのではないだろうか。この件に関しては「FacebookにAmazonのリンクをシェアすると、広告としてウォール上部に繰り返し表示されます」というブログ記事に詳しい。さらに「Facebookユーザーは要確認!Facebookの広告に自分の情報を利用させない設定」が参考になる。

ただしこれは自分の投稿に対してだけであって、他者のそれが非表示になるわけではない。しかし投稿してる人にこの点を伝えるのも煩わしいし、第一余計なお節介である。そこでいっそ広告を非表示にするChrome拡張機能を試用してみた。まさにビフォーアフター、劇的な変化で、広告が消えてしまった。Facebookは広告で成り立っているので、それを否定するつもりはないし、ブロックするのはどうかと思う。しかしタイムラインに繰り返し表示される、ユーザーの投稿を利用した広告は、正直言って如何なものかと疑問が生ずる。継続してこの拡張機能を使うか考えあぐねているが。

2013年6月4日

天安門事件から24年

天安門広場に向かう戦車の前に立ちふさがる市民(1989年6月4日)©Stuart Franklin

今日6月4日は天安門事件から24年、中国共産党は「終わったこと」として、ネットでの書き込みを次々と削除しているという。以下は確か1991年に書いたエッセー「私的写真論への覚書(30)天安門」で、そのまま再掲載することにします。
中国の楽器が壁にたてかけてあった。聞けば日本の三味線の絃を張ってあるという。京都上七軒、私たちは芸妓さんが経営するバーにいた。女将さんに調律してもらう。本調子でね。市バスを降りて、三条を東へ、あの娘は来ない、鴨川プカリ。酔った私は自作の歌を歌う。M君がビデオを回したようだ。すぐに再生する。ははは、音痴だな、と私は照れる。席を替えてお茶屋のカウンターへ繰り込む。昔は凄かったね、とN君がいう。M君もN君も写真週刊誌の契約カメラマンだ。まあね、面白かったし。最近はどうしたんですか、元気がないじゃないですか。隠遁したんだよ、京都にね。今日の記者クラブ、ひどいじゃないですか。N君が突然憤慨しはじめた。

ラエちゃんは横浜の大学を出たあと一年間民間会社勤めをして京都に帰ってきた。わたし、首都圏の生活に疲れたの。ぼくもそうなんだよね、もうあんなとこで働くのはまっぴらだね。わたしも。バイト先でラエちゃんは中国人のRさんと知り合った。私は深い事情は聞かないことにした。Rさんはビル掃除のアルバイトをしていて、そのビルでラエちゃんは働いていた。彼女は学生時代に歴史を勉強、専門は騎馬民族の研究だった。第二外国語は中国語。ラエちゃんはRさんの奥さんであるKさんから中国語を習うようになった。あのー、天安門事件のビデオあるかしら。どうして? Kさんが見たいんだって。

宝ヶ池の国立京都国際会議場。来日した中国の天体物理学者、方励之氏が会見場に現れる。私自身は学生に何も指示しませんでした。学生たちが私のところにきたのは事実ですし、私の発言に影響を受けたのも事実でしょう。方氏は記者の質問に淡々と答える。天安門事件のとき「学生を扇動した」とされる中国共産党を除名された国際的学者。出国した方氏はプリンストン大学高等学術研究所に招聘された。あの有名な『アインシュタインの部屋』がある研究所だ。質問は中国の民主化運動に集中する。

私の意識はふとその高等学術研究所にいたフォン・ノイマン博士の逸話にシフトする。世俗にまみれない学者の世界。コンピュータの歴史の本に必ず出てくるのがペンシルバニア大学で一九四六年に作られたエニアック。総重量三十トン、使われた真空管一万八千八百本。これが世界最初の電子計算機と呼ばれている。このエニアックの改良をしたのがノイマン博士だ。計算機を外側から制御するのではなくプログラムという概念を導入する。今日に至ってもプログラムを内蔵させ、命令を実行するコンピュータをノイマン型と呼んでいる。研究所の一室に忽然と現れた巨大な化物。歴史の中で誰かが驚愕している。そしてその歴史の中で私は微笑む。もっとプリンストンの生活を聞いたほうが面白いのに。会見場を出るとN君が扉にへばりついて聞き耳をたてていた。かれは記者クラブから追い出されたのだ。

RさんKさん夫妻 [*] の仮住まいは同志社大学近くにあった。狭い。六畳一間だろうか。炬燵。Kさんがラエちゃんに中国語の講義をはじめる。終わると手作りの中国料理を出してくれる。夫妻は北京とは離れた地域出身。それでも医師であるKさんは北京語を話す。日本語も上手。あのテープはもういいのです。そうですか。何かに脅えてるようだ。夫妻は天安門事件の詳細を知らないらしい。人民軍が人民に銃を? 映像を見るのが怖いらしい。Rさんは元教師。党結成以来のバリバリの共産党員だという。夫妻の帰国時期が迫っていた。
[*] RさんKさん夫妻と書いたのは中国では夫婦別姓だからです。ノイマン博士の下りはエド・レジス著『アインシュタインの部屋』(大貫昌子訳・1990年・工作舎)を参考にしました。

2013年6月2日

大判8x10黒白シートフィルムの自家現像

乾燥 大敵である埃を避けるためバスルームに吊り下げる

JOBO #2850  Drum
久しぶりに大判8x10黒白フィルムの自家現像をしてみた。一年ほど前に「大判4x5シートフィルムの自家現像」という一文を投稿したが、実は4x5と8x10は大違いである。ずいぶん昔になるが、デアドルフ8x10を持ってる友人に現像方法を尋ねたことがある。彼もいろいろ調べたようだが、結局バットによる「皿現像」に落ち着いたという。コツは大き目のバットにたっぷりと処理液を注ぐことだという。この方法はやったことがないが、どうも現像中にフィルムに傷を付けてしまうような気がする。もうひとつの方法は、アルミのハンガーを使い、四角い塩ビのボックス型現像タンクを使う方式である。これは4x5では経験があるが、8x10ではない。この方法はかつてコダックが推奨していた記憶があるが、最近の解説書には書いてないようだ。難点は適切な撹拌をしないと現像ムラが生じてしまうことだ。さて、以上の二通りの方法だが、以下の理由で採用していない。ひとつは液量が多いという点。私は1:1の希釈現像液を使っているが、現像後は貯蔵せずに廃棄している。
JOBO Expert Drum #3005

従って現像液使用を抑えたシステムが望ましい。そしてこれはおそらく私だけの問題かもしれないが、現像中暗黒状態で作業するのは心理的にちょっと辛い。印画紙のようにセーフライト使えないからだ。というわけで4x5同様JOBOの回転式現像タンクを使っている。8x10のフィルムを5枚いっぺんに処理できるJOBO#3005が欲しいのだが、ちょっと入手困難である。次善策として本来は印画紙処理用のJOBO#2850を流用している。ドラム1個だと2枚しか処理できないが、ふたつ繋ぐと4枚現像できる。ただこれは印画紙用なので、セーフライト下で処理するように設計されている。だから暗黒下でフィルムを装填するにはちょっと厄介である。最大の問題点は連続撹拌による品質劣化だが、比較材料を持ち合わせていないので、結論し難い。8x10は4x10の4倍の面積だが、処理にかかる手間は4倍以上だと思う。蛇足ながら自家現像で気を使うのは埃の付着である。入浴後、窓とドアを閉め切ったバスルームで乾燥している。湯気で空気中の埃が落ちるからだ。スタッフカメラマン時代は設備が整った暗室を使えたが、マンション住まいの今、いろいろ苦労している。

PDF  コダック黒白フィルム現像時間一覧表  PDF  コダックD-76デベロッパー現像時間

2013年6月1日

新緑の東本願寺渉成園を散策する

印月池 渉成園(京都市下京区正面通間之町) Fujifilm Finepix X100

東本願寺の渉成園(しょうせいえん)に出かけた。池泉回遊式庭園をもつ、飛地境内地にある別邸で、国の名勝に指定されている。庭園の中心となる印月池(いんげつち)には睡蓮が咲き乱れ、鯉が悠然と泳いでいた。池畔の繁みに茶室などの建物が点在、街中とは思えぬ風景を作っているが、京都タワーや高層マンションが見え隠れするのが残念である。しかし烏丸通と河原町通に挟まれながら、園内は静かだ。青モミジが眩しく、秋の紅葉の壮絶を夢想した。