2013年11月25日

米研究者が指摘する「風立ちぬ」の甘い夢と航空機

The Wind Rises  American poster

日本版ポスター
宮崎駿監督のアニメ作品『風立ちぬ』が今月初めにニューヨークとロサンゼルスで公開されたそうだ。本格的な公開は来年2月になるという。ロサンジェルス在住の映画ジャーナリスト、猿渡由紀氏によると「『USA Today』紙も絶賛。『これまでの宮崎作品よりもリアリティに基づいているので、ファンタジーの要素を求めるファンはがっかりするかもしれない』としながらも、『ジローは戦争に使われた飛行機を作った人だが、戦士ではなく、ロマンチストであり、エンジニア。この映画は、そんな人物をビジュアルな形で描くポエトリーだ』」と絶賛しているそうだ。日米のポスターを比較すると面白い。アメリカ版のポスターを見ると、さらに「恋愛映画」という側面が強調されている印象を持ってしまう。

予告編には飛行機が登場するが、これを見て主人公が「ゼロ戦」の設計者であることに気づくアメリカ人は少ないと思う。私が危惧するのはやはりこの点である。現代日本のアニメ研究で知られるタフツ大学教授、スーザン・J・ネイピア氏は流石に見逃していない。リベラル系インターネット新聞「ハフトン・ポスト」のブログに『甘い夢と航空機』と題した一文を寄せているが「ゼロ戦は、1937年に中国に対する日本の侵略を主導し、1941年に真珠湾を爆撃した」と書いている。さらに戦争末期の土壇場で、アメリカの軍艦に対して自身と飛行機を破壊して攻撃する特攻、若い神風パイロットの媒体となり、1945年、壊滅的な敗北に終わったと指摘している。やはり見るところは見て、指摘すべき点は指摘している。流石である。真珠湾攻撃は日本時間1941年12月8日未明だったけど、未だに「真珠湾を忘れるな」というアメリカ人は多い。映画の背景を知ったときの彼らの反応に興味を持たざるを得ない。

PDF  The Wind Rises - Official Trailer (英語版オフィシャル予告編)

2013年11月21日

物欲を戒めた「森の生活」に学ぶ清貧生活

Walden Pond in early November by ©Nina Nicholson

カメラやオーディオ機器購入について書くことは、実は内心ちょっと躊躇するものがある。私は反原発派だし、電力を浪費するリニア新幹線の敷設などは反対である。人間はエネルギー問題に対し岐路に立っているし、経済成長を望むべきではないと考えている。だから物欲を彷彿とさせる内容の文章は慎むべきである。しかし写真表現は私にとっては人生そのものだから、その道具であるカメラは手放せない。しかし新しいカメラが出るとつい食指を伸ばしたくなる。音楽は自分の心を癒してくれるので、聴く装置は私には欠かせない。滅多に買い替えるものではないし、安価なものしか買えないから贅沢じゃないと思うが、どこか後ろめたいのである。座右の一冊、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817-1862)は『ウォールデン;森の生活』 (Walden; or, Life in the Woods)の中で「人生の多くの贅沢といわれる慰安の多くは、人類の向上に対する不可避的な障害のみならず、人間的な障害でもある」と書いている。まことに頭が痛い指摘である。さらにこんなくだりもある。
初版の表紙(1854年)
いま自分がもっている家よりもずっと便利で贅沢な、ただし、買える人間などいそうもないことがだれの目にも明らかな家を設計してみることはできる。われわれは、いつもそういうものをもっと手に入れようとつとめているが、ときにはいまもってるいるものよりも少ないもので満足できるようにつとめてみたらどうだろうか?
ソローはマサチューセッツ州コンコード近くのウォールデン池畔に自ら建てた小屋に、2年余り暮らした経験を元にこの本を書いた。「私が森に行って暮らそうと心に決めたのは、暮らしを作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に、実は本当は生きていなかったと知ることのないように、暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は、今を生きたいのです」というのがここに住んだ理由だったようだ。うーん、今に生きることなんだ。余談ながら凍結した湖面の氷の切り出し作業を目撃したが、これを仕切る豪農はフレデリック・テューダー(1783-1864)だった。日本でも人気が高い、絵本作家、園芸家であるターシャ・テューダー(1915-2008)の曽祖父だった。ターシャが俗界から逃れたのは、ソローの強い影響によるものと想像できる。

2013年11月20日

現像しっぱなしのネガをスキャンニング

モミジ  神護寺(京都市右京区梅ケ畑高雄町)

デノンのレコードプレーヤーDP-300Fを購入する際に比較したのがDP-200USBで、名前から推測できるようにUSBメモリーに対応している。価格はさらに安く、写真で見るとトーンアーム辺りが心細い感じがするが、通販サイトのユーザーレビューによると意外と良くできているらしい。見送ったのは、LPレコードのデータ化をする気持ちがないからである。その時間があれば、撮って現像したまま放置してある膨大なネガのスキャンニングをしたいからだ。レコードはモノとして存在するから良い。写真もネガが存在するからいいのだが、スキャンニングによって過去の作品を見直すことができる。最近はネガからのアナログプリントを半ば諦めている。プリント暗室を持てないし、市内にレンタル暗室がないのも理由だが、デジタル技術を積極的に援用しようという気持ちが働いているからだ。ゴミ取りなどの利便性の他に、トーンを自在に操れるというメリットがある。ウエットシステムはひとつの理想ではあるが、新旧テクノロジーの融合も同時代のメソッドだと思うのである。

2013年11月18日

昔コレクションしたレコードが無駄にならない嬉しさ

DENON DP-300F

古いレコードプレーヤーが壊れてしまった。デノンのDP-33Fで、発売が1973(昭和48)年だから、少なくとも30年以上はゆうに使ってきたものだ。おそらく修理不能なので、同じデノンのDP-300Fを購入した。同社の希望小売価格は45,150円だが、2万円強で入手できた。しかし消耗品である交換針は4,000円弱で、どうも値段が釣り合わないような気がする。この辺りはまるで謎だ。世の中には「オーディオマニア」が健在らしく、創業100周年記念モデルDP-A100はカートリッジ別売りで304,500円という代物がある。資金もさることながら、置く場所もなく、オーディオに凝ることを諦めた私には縁遠い製品である。それはともかく、先月導入したネットワークCDレシーバーRCD-N8に繋いでみた。セットアップは針圧設定くらい。というかあとは針がレコードから滑らないように調節する、アンチスケーティングつまみがあるくらいで、ターンテーブルの回転速度などの細かい調節できない。アンプ側にはPHONO入力端子がないのだが、プレーヤー側にPHONOイコライザーが内蔵されてい。棚からLPレコードを何枚か引っ張り出して聴いてみたが、値段の割にはいい音だと思う。ひとつ難点は、同じメーカーのアンプを使っているので、出力レベルが同じかと思っていたが違うことだ。CDその他に切り替えるとガーンと音が大きくなり、最初はちょっと慌ててしまった。カートリッジの出力が昔と同じだからだろうか。普段はインターネットラジオをもっぱらBGMにしているが、LPレコードは片面の演奏時間がせいぜい25分程度、盤を入れ替えるのが若干煩わしいが、その手間に値するスローライフな愉しみを得ることができる。何よりも昔コレクションしたレコードが無駄にならないのが嬉しい。

2013年11月17日

マッカーサーが天皇の戦犯除外に関してアイゼンハワーに送った電報


Incoming Classified Message January 25, 1946 (国立国会図書館蔵

その後山本太郎参議院議員の公式ホームページを見ていささか驚いた。すでに報道されたことだが「陛下と皇后陛下の御宸襟を悩ませる事態になった」と古風な言い回しを繰り返している。「もう一度御会釈の機会があれば、いつの日か今回の非礼をお詫びしたいと思っておりましたが、参議院の処分は『皇室行事への参加は認めない』と言う事で、その願いは叶わず、二重橋でお詫びいたします」には呆れる。思わず旧憲法(大日本帝国憲法)を思い出してしまった。
第1条:大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条:皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条:天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条:天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条:天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条:天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第7条:天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス
この条項は現憲法で否定されているのはいうまでもない。写真は1946年1月25日、マッカーサーがアイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡に送った電報で、天皇の犯罪行為の証拠なしと報告している。天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきだとの立場を表明している。これが戦後日本政治の出発点になったことを肝に命ずるべきだろう。

2013年11月15日

全国お茶まつり京都大会

画像をクリックすると公式ホームページへ移動します

日時:2013年11月16日(土)9:30~16:00  11月17日(日)10:00~16:00
会場:JR・京阪宇治駅~商店街~宇治市役所
主催:第67回全国お茶まつり京都大会実行委員会

PDF  イベント詳細マップ(PDFファイル 3.78 MBB)

2013年11月14日

小泉元首相の「原発ゼロ」発言に見るポピュリズム

朝日新聞(大阪本社発行)2013年11月13日朝刊1面

小泉純一郎元首相の「原発ゼロ」発言が波紋を呼んでいる。かつて国民に絶大な人気を誇った小泉氏の発言を否定すれば支持率低下につながりかねず、うかつに反論できないので、安倍首相以下、政府および自民党はかなり苛立っているようだ。朝日新聞社が実施した全国定例世論調査では、小泉純一郎元首相が政府や自民党に対し「原発ゼロ」を主張していることについても質問したところ、この主張を「支持する」は60%にのぼり、「支持しない」の25%を上回ったという。一方、11月12日の同紙電子版は「そこまで言うなら、これまでを反省し、具体的に原発停止までどういう道筋にするかを語って欲しい」という、福島県双葉町から福井県坂井市に避難している学習塾経営の声を伝えている。同時に掲載されている首相時代の小泉氏の原発に関する国会答弁を見てみよう。

  • 原子力発電も今は3割を占め、その重要性というのも今は否定できない(2001年5月)
  • 二酸化炭素を排出しない原子力を安全確保を大前提に着実に推進する(2002年2月)
  • 原子力発電は、燃料供給の安定性に加え、発電の際にCO2を発生しないという環境特性を有し、~今後も重要な役割を担っていく(2002年10月)
  • エネルギー資源に乏しい我が国において、高速増殖炉開発を進めることは重要(2003年2月)
  • 安定性に優れ、発電過程で二酸化炭素を発生しないという特性有する原子力発電について、~推進に引き続き努めてまいりたい(2003年2月)
  • 国内の原子力発電施設について、地震や津波が際に放射能漏れなどの事故を起こすことがないよう施設の耐震性の強化を図っている(2005年1月)
  • 安全を大前提とした原子力発電に取り組む(2006年1月)

同じ人物の発言とはおよそ信じがたい驚天動地、いやまさにカメレオン政治家である。一番気になるのは前述の避難者が指摘しているように、過去の言動に対し反省し、国民に向かってまず謝罪すべきである。にも関わらず、私が報道を通じてキャッチした範囲では、その言葉はない。昨今の「転向後」の発言内容は、確かに正論である。これで方針を政府が方向転換、日本が脱原発に進めば評価せざるを得ない。しかしその言動は「民主主義」を幟に書いてはいるが、芝居小屋へ観客を呼び込むためのものなのだ。天才ポピュリストにとって、原発推進も、郵政民営化も、原発ゼロも小泉劇場の小道具に過ぎないのではなかろうか。その小道具に観客、すなわち国民が翻弄されているのである。濃縮ウランの70%はアメリカから輸入している。それに代わるシェールガス輸入の御用商人という疑いが脳裡を掠めるのである。

2013年11月12日

おっ母さんここがここが二重橋

憲法発布宮城二重橋御出門之図  楊洲周延画 明治22(1889)刊 大倉四郎兵衛 大判錦絵堅3枚続

秋の園遊会での山本太郎参議院議員の言動の余波が続いている。同議員は自らのオフィシャルホームページで「今回のお手紙をしたためた件で騒ぎが大きくなるにつれ、陛下と皇后陛下の御宸襟を悩ませる事態になった事を何よりも猛省しております。もし、もう一度御会釈の機会があれば、いつの日か今回の非礼をお詫びしたいと思っておりましたが、参議院の処分は『皇室行事への参加は認めない』と言う事で、その願いは叶わず、二重橋でお詫びいたします」と釈明した。宸襟(しんきん)とは聞きなれない言葉だが、天子、皇帝、天皇などの心中のことである。どうやら相当の天皇崇拝者であると推測する。二重橋云々は噴飯もの、余りにも古風なパフォーマンスで、式典で「天皇陛下万歳」と叫んだ安倍首相に相通ずる時代錯誤。思わず先日他界した島倉千代子のヒット曲『東京だよおっ母さん』を思い出してしまった。
久しぶりに 手をひいて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんで来ますよ
おっ母さん
ここが ここが 二重橋
記念の写真を とりましょね
宸襟といった古くさい言い回しに、旧憲法、すなわち大日本帝国憲法の「第1条:大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を連想してしたのは私だけだろうか。ご当人の意識内かどうか不明だが、現憲法の「第1条:天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と結びつかないのである。山本議員は後半に「国権の最高機関の一員としての意識をしっかりと持ち、市民の皆様と繋がり、この国に生きる子ども達を待ったなしの被曝から護り、収束作業員の劣悪な労働環境、危険すぎる食品の安全基準、全てを隠蔽し人間の尊厳を奪う特定秘密保護法に全力で立ち向かうことをお誓い申し上げます」と続ける。これは「第4条:天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という条項を知っていれば出る筈もない言葉である。あのような愚行の背景が浮き彫りになっている。

PDF  島倉千代子『東京だよおっ母さん』(1957年).

2013年11月9日

スーパー台風30号 (ハイエン) がフィリピンを直撃

Super Typhoon Haiyan  November 8, 2013 (NASA)

時事通信電子版によると、今年発生した台風の中で最も勢力が強い台風30号が11月8日、フィリピンを直撃し、国家災害対策本部によると、これまでに3人が死亡、約75万人が避難したという。気象庁が本日9日6時45分発表したデータによると、中心位置は北緯12度30分(12.5度)東経 117度20分(117.3度)で西に向かっている。中心気圧は940hPa、中心付近の最大風速は45m/s(90kt)、最大瞬間風速は65m/s(130kt)。

2013年11月6日

ピート・シーガーとアーロ・ガスリーのコンサート


Together in Concert
最近カウボーイハットを買った。カントリーやブルーグラス音楽のミュージッシャンを大別すると、カウボーイハットは保守派、アメリカの政党で共和党というイメージを持っている。つまりリベラルは被らないという思い込みである。しかしウディ・ガスリーの息子アーロが頭にしている写真を見てその気になった次第である。それに彼はかつて「最後のブルックリン・カウボーイ」というアルバムを出している。ご存知ウディ・ガスリーはアメリカのプロテスト・フォークソング先駆者で、アーロもそれを受け継いでいる。そのアーロが父ウディと親交が深かったピート・シーガーと11月30日、カーネギーホールでコンサートを開く。ピートは1919年生まれの94歳、アーロは1947年生まれの66歳、合わせて160歳。飛んで行きたいところだが、残念ながら渡航費用がない。二人は何度かジョイントコンサートを開いている。現在はCD化されている「Together in Concert」の原盤LPレコードは私の宝物である。シカゴのオペラハウス、ニューヨークのカーネギーホール、ボストンのミュージックホール、モントリオールのプレイス・デ・アーツでライブ録音されたもので、1975年にリリースされた。カーネギーホールに帰ってきた二人、どんな曲を演奏するのだろうか、94歳のピートは大丈夫だろうか、ライブ盤は出るのだろうか、興味は尽きない。

2013年11月5日

高槻市でアートで脱原発!ポスター展

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日時:2013年11月24日(日)10:00~18:00
会場:高槻現代劇場第一展示室(大阪府高槻市野見町)
主催:反原発たかつきしみん実行委員会

  脱原発ポスター展サイト

2013年11月4日

京まちなか映画祭

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日時:2013年11月5日(火)~12日(火)
会場:立誠小学校・京都文化博物館・京都シネマ・ネロ;パッソ
主催:新京極商店街振興組合・京まちなか映画祭実行委員会
後援:京都府・京都市・京都商工会議所

PDF  京まちなか映画祭スケジュール詳細 (PDFファイル374KB)

秋の園遊会における山本太郎参院議員の行動を批判する

秋の園遊会  天皇に手紙を手渡す山本太郎議員(2013年10月31日)

山本太郎参院議員(無所属)が10月31日、秋の園遊会で天皇に手紙を手渡し、大きな話題となった。世耕官房副長官がテレビ番組で自発的辞職求めたそうだが、まさか辞職に追い込まれることはないと思う。しかし生き馬の目を抜くのが政治の世界、予断は禁物だ。連休明けの明日、新たな展開があるだろう。これまでの報道では山本太郎議員を擁護した国会議員はいないようだ。政府や与野党から批判の大合唱があがっている。一方、一般の声を伝えるネットでは賛否両論が飛び交っている。反原発派から擁護する声が上っているが、やや情緒的な発言が多いという印象だ。例えば共産党の志位和夫委員長が「憲法上『国政に関する権能を有しない』存在の天皇に政治的対応を求めるのは、憲法を知らない者の行動だ」と指摘したそうだが、このような意見を論破できてないのではないだろうか。いろいろ読んでみたが、鈴木宗男氏がフェイスブックに寄せた一文が私の考えとオーバーラップする。

曰く「山本参議院議員が純粋に東京電力福島原発事故で子供の被爆、作業員の健康など現状を心配するなら、立法府の議員として国会で質問することも出来る。無所属なのでその機会がないとするなら、質問主意書も出せる。立法府の一員としての役割、行動をした上で、これではどうにもならない、子供や作業員を護るために直訴しかないとやむにやまれぬ思いで決断したのなら少しは理解されると思うが、肝心の立法府の一員として当然の権利を行使しないで『直訴』というのはいかがなものかと私は考える」云々。同感である。山本議員の「今はひとり」というのは誠に清々しい響きを持っているが、国会ではひとりでできりことは限られている。首相の演説に質問できるように、統一会派を作るのもひとつの方法であろう。今回の山本議員の言動には批判の目を向けざるを得ない。私が「反・反原発派」でないことは、これまでこのブログを読んでいただいた方にはご理解をしていただけると思う。

2013年11月3日

なぜ男はスカートの中を覗きたくなるのか



河出書房新社(1989年)
この動画は YouTube に投稿されている、いわば「エスカレータのパンチラ悲喜劇」で、ヒット数は何と1300万を超えている。これに触発され「なぜ男はスカートの中を覗きたくなるのか」という永遠の謎に迫りたくなった。過去3度トルコのイスタンブルを訪れたことがある。いずれも冬で、スカーフを巻いた若い女性たちは地面すれすれまで届くロングコート着ていたのが印象的だった。肌を見せないというイスラームの教えに従ったものだろう。ところが新市街イスクラル通にある店のショウウィンドウが、女性の下着の満艦飾で奇異の念を禁じ得なかった。京都でも下着店は、ドラッグストアの薬のように堂々と並べている。カメラを向けても何のお咎めもない。ところがこの布切れが女性のスカートの中に隠れると様相は一変する。エスカレータに乗り、見え隠れする下着にカメラを向ければ「盗撮」と騒がれ、即警察に突き出されてしまう。捕まった男の「どんな下着を穿いていたかったか見たかった」という証言を読んだことがある。上野千鶴子著『スカートの下の劇場』(河出書房新社)は1989年に出版されたが、今でも精彩を放つ名著だ。上野さんは隠すことで価値が出ると看破している。曰く「考えると、隠さなければ何の値打もなかったのに隠したから値打が高まったというもののなかに、どうやら性器も含まれていたのではないかと思います」云々。下着を見たければ、下着店で堂々と見ることができる。にもかかわらず「下着を見たかった」というのは「下着に隠れた性器を想像したかった」のであろう。性器は下着に隠され見えないのだから、スカートの中を撮る行為は、肉体に迫っておらず「猥褻行為」とは言い難い。上野さんは続ける。「猥褻なのは、現実ではなくて、妄想のほうです。言いかえると、猥褻なのは心理であって肉体ではないのでのです」と。蛇足ながら、だからスカートの中を覗く行為は視覚の妄想であり、女性の体を直接触ろうとする「痴漢行為」とは一線を画すものだといえそうだ。

2013年11月1日

京都96条の会発足記念シンポジウム

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日時:2013年11月16日(土)13:30~16:30(開場13:00)
会場:龍谷大学深草校舎22号館101教室(京都市伏見区深草塚本町67)地図

PDF  京都96条の会呼びかけ文(PDF 322.5KB)