2014年11月27日

ブレボケ写真考

八坂神社(京都市東山区祇園町北側)
Harman TiTAN 4x5 Pinhole with Kodak Portra160

1970年代初頭に日本で「ブレボケ写真」と総称する手法が一世風靡したことがある。発端は1969年創刊の『プロヴォーク』で、中平卓馬や森山大道といった写真家たちがその旗手だった。極端に荒れた粒子、ピントがボケてブレた不鮮明な写真は、ウィリアム・クラインの影響を受けたものだった。写真史を少しバックすると、面白いことに鮮明な画像をを嫌ってピクトリアリスムが黎明期に生まれた。日本では野島康三が有名だが、1932年創刊の『光画』に写真評論家の伊奈信男が「写真に帰れ」を発表、ストレート写真が復活する。そしてさらにそれを否定したのが「ブレボケ写真」だったのである。私は1年ほど前から、三脚を使わずにピンホールカメラで撮影を始めた。ピンホールは口径が小さいので長時間露光が強いられる。だから一般には三脚を使って画面を固定する。手持ちで撮ると必然的に「ブレボケ写真」になる。しかし私自身の意識の中では1970年代のそれとは一線を画しているつもりだ。カラ―フィルムで撮ると色が混ざるので面白い。印象派の絵画のような写真が撮れたらと思っている。蛇足ながらブレの語源は英語のBlurで、霞んで見えるという意味。ボケは英語やフランス語などでもBokehと書き、似た発音をする。これは日本語から派生したものだろうと思われる。

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