2016年2月25日

井上章一『京都ぎらい』を読む

大垣書店(京都市下京区烏丸通七条下る)

書店を覗いたら「新書大賞第1位」と朱書きされたカバーがついた、井上章一さんの著書『京都ぎらい』(朝日新書)が平積みされていた。昨年の秋に出版されて以来、気になってなっていたのだが、10万部突破のベストセラーだという。30年ほど前、木屋町の居酒屋で一緒によくお酒を飲んだし、懐かしいので買って帰った。映画などと同様、これから読もうとして人に対し、内容を詳述するのは避けたい。だた帯ならぬカバーに書かれている「ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで…」には触れていいだろう。井上さんは嵯峨に生まれ、宇治に住んでいる。東京から見れば立派な「京都人」だが、そうではないという。建築を学んだ井上さんは、下京区綾小路通新町西るにある杉本家住宅を1977年に訪ねた。私も博物館になる前に訪問した記憶がある、300年近く続いた商家だ。当主であった故杉本秀太郎氏に「君、どこの子や」と尋ねられた。嵯峨からだと告げると、お百姓さんが「うちへよう肥をくみにきてくれたんや」という答えが返ってきたという。つまり嵯峨は田舎で洛中でないはないという含み、揶揄が籠ったものだったというのである。つまり洛中のすぐ周辺の嵯峨にに生まれ、すぐ周辺に宇治に住む洛外人が綴った、洛中に住む京都人の「中華思想」に対する挑戦状に本書はなっている。つまり上方落語の「京のぶぶ漬け」に象徴される京都への揶揄とは距離感がちょっと違う。私は現在、京都市北区、いわば洛外に住んでいるが、1983年から2年ほど妻の実家に同居した。中京区の真ん中で、すでに他界していた義父は手描き友禅の下絵師だった。その頃、健在だった義母は和服関係の仕事していたが、祇園祭で知られる鉾町に生まれ育ったことが誇りの人だった。私は関東育ちだから井上さんより遥かな洛外人であったわけだが、古い京町家に住んで嫌な経験をした覚えがない。上野千鶴子さんが何かに「よそ者として付き合えば京都は住みやすい」書いていたような記憶がある。よそ者がなまじ京都人に仲間入りしようと思わなければ快適な古都である。井上さんの葛藤は、生まれ育った嵯峨と、洛中の距離感が生んだものだろう。

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