2017年1月3日

口あいて落花ながむる子は佛

仏花(京都市東山区円山町の東大谷墓地)

関東に生まれ育った私にとって、京都へ移り住んでちょっと戸惑ったのは、正月に人々が先祖の墓参りをすることだった。妻は京女なので、お付き合いで私も毎年正月に墓参するのが習わしとなった。東本願寺の墓地に出かけたが、大勢の墓参客で賑わっていた。墓石を洗い、仏花を供え、線香を炊いて合掌する。墓参りを済ませ、隣の大谷祖廟へ。第二十三代の彰如上人が「口あいて落花ながむる子は佛」と詠んだ歌碑がある。横にある急勾配の石段を登ると親鸞聖人の廟の扉が見えた。扉の両脇には夥しい数の仏花が供えられているが、供花台があっという間に満杯になってしまう。エレベータで下に降りると、一角に工事用シートで作った臨時の花壇があり、廟の前から下げた花が再び生けられている。花文字か描かれていて「遠慶宿縁」とある。遠く宿縁を慶べと読むのだが、これは『教行信抄』の中に出て来る宗祖親鸞聖人の告白だという。ところで美しくおごそかに飾ること仏教では荘厳(しょうごん)というが、このような花の再利用を再荘厳と呼ぶそうだ。束から解かれた仏花たちは交じり合い、別の命を与えられたようにの美しさを競っていた。帰路、その花文字から作られた堆肥をいただく。廟を出て、円山公園を抜け、今度は初詣客で満杯の八坂神社へ。仏から神へのハシゴである。

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