2017年6月17日

東松照明と太陽の鉛筆

東松照明『太陽の鉛筆』(毎日新聞社1975年)

浅間山荘事件があった1972年、私は東京に移り中野に居を構えた。翌年、写真家の富山治夫さんがアパートを引き払うことになり、彼が作った暗室があったので、そこに移り住んだ。新宿のど真ん中、屋上に上がると天空を占拠した高層ビルが迫ってきた。近所に東松照明さんが住んでいて、その頃のメモにはこんな下りがある。
東松照明さんは籠から文鳥を出すと手のひらに乗せた。二眼レフというのはねぇ、おじぎカメラと言うんだ。亜熱帯をテーマにした『太陽の鉛筆』をカメラ雑誌に連載してるころだった。ふつうのカメラはファインダーを覗くと直視する形になるだろ。二眼だと下を見るから相手は安心する。おじぎ、そうなんだよね。おじぎをして撮らせてもらうのさ。ふーん。私は関心する。それにしても太陽の鉛筆ってうまい表現だなと私は思った。スタッフっていろいろたいへんらしいね、と東松さんは言う。この間、毎日新聞のカメラマンもぼやいていたよ。そうですか? そんなことありません、楽ですよ。(『私的写真論への覚え書き』より)
その『太陽の鉛筆』は1975年に毎日新聞社から「カメラ毎日別冊」として出版された。前半は沖縄で撮影された35ミリカメラによるモノクロ写真だが、後半はローライフレックスで撮影された台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイ、シンガポールなどの島々および沖縄のカラー写真である。モノクロも良いが、色鮮やかなカラー写真も素晴らしい。まさにアジアの色である。東松さんはこのシリーズで、沖縄は琉球ネシアであり、日本本土ではなく、むしろ東南アジアと「海上の道で」でつながっていると主張したかったのかもしれない。いずれにせよ、この写真集が東松さんの代表作となった。初版オリジナルを所持しているが、私にとっては強い影響を受けた、手放しがたい一冊である。

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