2017年10月31日

第五福竜丸建造70年記念特別展

この船を描こう 森の福竜丸 男鹿和雄と子どもたちの絵

会 期:2017年11月3日(祝・金)~2018年3月25日(日)9:30~16:00
月曜休館ただし祝日は開館・火曜振替休館・12月28日~1月3日休館
会 場:第五福竜丸展示館(東京都江東区夢の島公園)03-3521-8494
詳 細:http://www.d5f.org/news/80.html

ウェブサイトより:第五福竜丸70年・古稀を記念して、スタジオジブリ作品を多く手がけた森と樹の画家、男鹿和雄さんが第五福竜丸の絵を描いてくださいました。「海の第五福竜丸」「森の第五福竜丸」の2点の作品と、「焼津港」「ビン玉」「六分儀」の3点が展示館に贈られました。大海原を勇躍赤道にむかい航海する福竜丸に、閃光と爆発音、巨大なキノコ雲の下で灰は降り落ちました。しかし、航海はつづきます。建造70年にあたり「この船を知ろう」「この船をつくろう」につづき、「この船を描こう」では男鹿和雄作品と全国から寄せられた60点の子どもたちの絵を展示します。

2017年10月29日

小池百合子希望の党代表の危険


昨年8月、私は「東京都民はトンデモナイ女性を知事にしてしまった」という一文を寄せた。PHP研究所の月刊誌『VOICE』2003年3月号での鼎談を、自らのウェブサイトで「日本有事3つのシナリオ」と題して掲載している点を突いたものだ。以下のような発言だったが、選挙対策のためかこの下りは削除されている。
軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。
これは小池百合子希望の党代表の脳裡に、通奏低音として流れている政治信条で、安倍晋三首相と共通認識だと思われる。だから先の衆院選において小池氏が「安倍政治を終焉させること」をスローガンに掲げたことに疑問を持った。つまり「反安倍大連合」なるものは、実は「自公補完勢力創設」であり、民進党の前原誠司氏が、希望の党への合流を進めた真意に疑問を持ったものである。希望の党が安全保障関連法肯定、憲法改定推進を「踏み絵」にしたわけで、だから小池氏が思わずリベラルを「排除」すると口を滑らし、墓穴を掘ったのも不思議ではない。安倍一強政治に多くの国民が反発を感じている。国政に躍り出た小池氏は「新たな選択肢」として当初は大きな旋風を巻き起こすかのように見えた。しかし「排除」という失言ならぬ本音を露呈してしまったのである。安倍晋三首相も危険だが、さらなる危険思想を持っているのが小池百合子希望の党代表である。

2017年10月26日

岡本神草の時代展案内

しんさうのぬりゑ

日 時:2017年11月1日(水)~12月10日(日)9:30分~17:00(金・土曜は20:00まで)
休 館:毎週月曜日
会 場:京都国立近代美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町)075-761-4111

京都市立絵画専門学校の卒業制作を、厳選で知られている第1回国画創作協会展に入選させ、新興美人画作家として注目された岡本神草(1894-1933)。昭和に入ってからは、かつてのように官能性を前面に押し出すのではなく、そこはかとなく漂わせるような作風に移り、38歳の若さで亡くなりました。画家にとって初の大規模回顧展となる本展は、数少ない本画を可能な限り集め、素描、下図、資料類100点ほどを加えて画業を紹介するとともに、甲斐庄楠音など同時代に競い合った作家達の作品も展示し、神草芸術の全貌だけでなく、時代性と特異性を知ることのできる展覧会です。

PDF  フライヤーの表示とダウンロード(PDFファイル 2.90MB)

2017年10月24日

ダイアン・アーバス自撮りヌード奇譚

Diane Arbus (1923-1971) Self-Portrait, Pregnant, N.Y.C., 1945

 Diane & Allan Arbus (1950)
この写真をソーシャルメディア Facebook に投稿したところ、削除され、おまけに主な機能の利用停止処分を食らってしまった。理由は「Facebook のポリシーに違反するコンテンツ」ということらしく、33時間、投稿は無論、いいね!ボタンも押せなくなってしまったのである。ダイアン・アーバスの意外な側面を知る上で貴重な写真と思うのだが、要するにどんな内容であれ、ヌード写真はとにかく駄目ということらしい。というわけで、ここに紹介することにした。ダイアンのセルフヌードは、私が知ってる限りでは1944年と、1945年のこの写真が流布されている。1941年、18歳のダイアンは幼な馴染のアラン・アーバスと結婚、1945年に長女ドーンを出産した。つまりこれは妊娠中の写真で、陸軍信号隊の写真家として従軍、インドに駐屯していた夫に送ったものだという。ダイアンというと二眼レフを連想しがちだが、これは大判のデアドルフである。彼女はまだ写真家ではなかったが、若い夫婦がファッションや広告写真の事業を始めることを期待、ニューヨークでデパートを経営していたダイアンの父親が購入したものである。白いブリーフをつけただけのダイアンが、ベッドルームの鏡に向かってポーズをとっている。妙に艶めかしく、私生活を覗き見した気分になるのは私だけだろうか。明らかなプライベート写真で、アランに妊娠を知らせるために撮った一枚なのである。1959年に彼らは別居、1969年に離婚したが、二人の娘がいたため、アランは日曜の朝食にやってきて、ダイアンのフィルムの現像を続けたようである。1956年にダイアンは商業写真から手を引き、35ミリのニコンを使うようになった。後にローライやマミヤの二眼レフに持ち替え、性倒錯者、畸形、身体障碍者などの所謂「フリークス」を撮り始めたのはご存知の通りである。その中にはヌーディスト・キャンプに飛び込んで撮影したものなど、いくつかのヌード写真が含まれるが、それは彼女の蒐集癖の産物であり、若き日のセルフポートレートとは隔たりがある。そのプライベート写真がどのような経緯で公表されたのか、寡聞にして私は知らない。

2017年10月18日

衆議院選挙は消去法で一票

立憲民主党のロゴ

もし「コンサバティブかリベラルか?」と訊かれたら、迷わず後者と答えるだろう。しかし支持政党がない無党派層で、投票はおおむね消去法で決めている。もうこれ以上の右傾化、ファシズムの台頭を許してはダメだ、という観点からの消去法である。私の選挙区の候補者は自民、希望、共産党の三人で、選択肢がない。自民、希望の党は「排除」せざるを得ないからだ。日本共産党の英語名は Japanese Communist Party で、共産主義者でない私はその名に違和感を覚える。若いころ下部組織である民青(日本民主青年同盟)と不快な確執経験をしたので長い間敬遠してきたが、最近はその気持ちがかなり和らいで、選挙状況によっては一票を投ずるようになった。ところで比例区だが、希望の党の失墜で浮上した立憲民主党がまず頭に浮かぶ。ツイッターやフェイスブックなど、ソーシャルメディアへの対応も好感が持てるし、オフィシャルサイトもなかなスマートである。僅か一週間で制作したというロゴもよくできていて感心する。広報戦略に長けたスタッフに恵まれていると言えそうだ。しかしながら気になることがないわけではない。参議員民進党の一部に再結集の動きがあることだ。民進党の中には世襲の自民党から出られなかった議員もいる、呉越同舟政党であることを忘れてはならない。選挙後に万が一、立憲民主党が民進党に吸収されたらまさに元の木阿弥、それこそ魅力のない野党第1党に後戻りしてしまう。これだけはちょっと勘弁して欲しいが、全く可能性がないわけではない。というわけで社会民主党とどちらかという悩ましい選択だが、投票日ぎりぎりまで判断を伸ばそうと思っている。

2017年10月15日

野生動物写真の先駆者カートン兄弟

海鳥の巣を撮るため崖下に降りるチェリー・カートン(シェトランド諸島)

ウタツグミの卵(クリックで拡大)
19世紀末から20世紀にかけて活動した英国のリチャード(1862–1928)とチェリー(1871-1940)のカートン兄弟は、紛れもなく現代の野生動物写真の先駆者であった。営巣中のウタツグミの卵の写真は世界で初めて、1892年に撮影されたもので、1895に出版された『英国の野鳥の巣:どのようにして、どこで、いつ、その種類を特定するか』にその成果が結実した。野鳥は警戒心が強いので現在でもブラインドテントを使うが、牛の毛皮で牛のぬいぐるみを作り、その中に潜んで撮るといった工夫を凝らした。また木の上の巣を撮るため、三脚を繋ぎ合わせて高くし、リチャードの背に乗って撮影するチェリーの写真が残っている。そればかりではない、高木に登り、細い枝に梯子を固定してマヒワの巣を撮ったり、海鳥の巣を撮るため、ロープにぶら下がって断崖絶壁を降りるといった危険な作業もしている。それはあくまで野生動物の自然な姿を撮るためだった。剥製を使ってフェイク写真を作るということをしなかったチェリーの「絶対的な誠実さ」を、アフリカで出会ったセオドア・ルーズベルト大統領が絶賛したという。その最たるショットが、1909年にケニアで夜間、フラッシュを使って撮影されたライオンだった。1910年に撮影されたマサイ族のライオン狩りの写真は、おそらく最初にして唯一のもので、特筆に値する。狩猟という名の忌まわしい「スポーツ」が現在でも行われているが、彼は銃の代わりにカメラを持ったが、それゆえに多くの危険に晒されたことは言うまでもない。野生動物を記録するため世界を旅した彼は「私の仕事は愛の労働」という言葉を残している。昨年ジョン・ベヴィス著『カートン兄弟:ネイチャー写真の事始め』が出版されたが、アマゾンで入手できる。

Amazon  "The Keartons: Inventing Nature Photography" by John Bevis

2017年10月14日

安倍首相は改憲が必要なくなったと思っていない

Illustration by ©281_Anti nuke

昨日「安倍首相『改憲必要なくなった』=昨年、田原氏に明かす」という記事が目に飛び込んできた。時事通信電子版の記事だが、都内の日本外国特派員協会で記者会見した田原総一朗氏が、集団的自衛権の行使を可能にするための憲法改正の必要性について、安倍晋三首相が昨年「全くなくなった」と語っていたことを明らかにしたという。米国が従来求めていた集団的自衛権の行使について、安全保障関連法の成立で可能となったことで「米側からの要請がなくなったためだ」と説明したそうである。やはり安全保障関連法は米国の要請によるものだったのである。日本は米国の属国とよく言われるが、まさにそれを露呈した発言で呆れる。ところでタイトルだけを読むと、安倍首相が「改憲必要なくなった」と発言したと誤解しそうだが、そうではなく「日本の憲法学者の7割近くが『自衛隊は憲法違反だ』と言っている。だから憲法に自衛隊の存在を明記したい」とも話したという。所謂「9条加憲」で、日本国憲法9条の1項、2項はそのままにして、新たに3項といったものを追加し、その追加の部分で自衛隊の合憲化を書き込むというものである。しかし憲法9条2項は「戦力は、これを保持しない」と規定している。自衛隊は明らかに戦力であり、7割近くの憲法学者の見解を覆して、どのように書き換えるのだろうか。日本の歴代内閣は集団的自衛権を「保有しているが、憲法9条との関係で行使できない」との解釈を示していたが、安倍内閣は2014年7月の閣議決定で、その解釈を変更した。安全保障関連法の制定は、憲法違反であるという批判を無視して成立、集団的自衛権の行使を可能にしたわけである。そしてひたすら「北の脅威」を煽り、しかも災害時における自衛隊の活躍ぶりのみを強調している。憲法9条を守るには、まず護憲派議員を増やすことだから、今回の衆院選は大事なのである。しかし投票予測記事を読むと改憲勢力が増え、状況はますます悪化すると言わざるを得ない。しかし憲法改正の手続きは、総議員の3分の2以上の賛成で国会が改正案を示し、最終的には国民が投票で決める。国民投票という瀬戸際作戦に備え、一般市民が護憲の必要性を地道に展開することが必要である。

2017年10月12日

木島櫻谷:近代動物画の冒険

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日 時:2017年10月28日(土)~12月3日(日)10:00~17:00(月曜休館)
料 金:一般800円・高大学生600円・中学生350円(小学生以下無料)※20名以上は団体割引20%
会 場:泉屋博古館(京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町)075-771-6411

木島櫻谷(このしま・おうこく)近代の京都を代表する日本画家の一人として知られる。明治10年(1877)三条室町の商家に生まれ、円山四条派の流れをくむ今尾景年に入門し画技を学ぶ。20代から頭角を現し、明治後半から大正期にかけて文展・帝展の花形として活躍し、京都画壇の巨人・竹内栖鳳と並び立つ人気を博した。近年、櫻谷の画業が改めて注目され、今年は生誕140年のメモリアルイヤーにあたる。

2017年10月11日

京都パンフェスティバル in 上賀茂神社 2017


日 時:2017年10月28日(土)〜29日(日)10:00~15:00
会 場:上賀茂神社(京都市北区上賀茂本山)075-781-0011
照 会:京都パンフェスティバル実行委員会事務局 075-241-6172

WWW公式ホームページ: 出店企業・店舗紹介・2016年の模様など

2017年10月10日

京都1区希望の党候補者の不可解

上善寺(京都市上京区今出川通千本西入る)

第48回衆議院議員総選挙(衆院選2017)が告示された。私は京都1区の有権者だが、3人が立候補した。自民党・伊吹文明氏、共産党・穀田恵二氏は毎度お馴染みの顔ぶれだが、希望の党から立馬した嶋村聖子氏は初めて耳にする名である。朝日新聞の候補者紹介欄には、フリーアナウンサー、米国ハワイ大卒となっている。ひとつだけ分かっているのは、希望の党の小池百合子氏が主宰する政治塾「希望の塾」に参加し、国政挑戦を打診されたという点だけである。ポスターには小池氏とのツーショットがレイアウトされていて「しまむらさんが京都の希望…」というコメントが添付されている。もう少し詳しい履歴が知りたくなり、オフィシャルブログを覗いてみたところ、米国州立大学卒業とあるが、具体的な大学名は書いてない。さらにオフィシャルサイトなるものにアクセスしたところ、京都在住としながら、趣味が旅行で、京都・大阪めぐりといった矛盾も見られる。どうやら京都は観光で訪れた程度で、選挙区には縁もゆかりもないらしいのである。フェイスブックページから問い合わせて欲しいということなので、探したが見つからなかった(*)。ツイッターやインスタグラムへのリンク記述があるが、いずれも「非公開」で、しかも投稿した形跡がない。というわけでこれ以上追跡しても無駄と判断した。駆け込みドタバタ立馬で準備不足なのかもしれないが、ネットは今や有権者にとって、候補者の横顔を知る貴重かつ有用な手段である。また候補者にとっても強力な広報手段で、ホームページやブログ制作、あるいは SNS 投稿に力を注いでいる。にも関わらず、履歴や政治スタンスはどうなのかという点に対してやや不満が残る。注目の党ゆえに嶋村聖子氏をピックアップしたが、選挙妨害をするつもりでは毛頭ない。

(*) フェイスブックページ「しまむら聖子」を探すとができました。せめてオフィシャルサイト、あるいはオフィシャルブログからリンクされていれば、簡単に見つけることができたと思います。ざっと一読したところ、街宣の写真が主で、ページ情報を見ても何が目的で国政参加したか不明です。(10月12日)

2017年10月9日

赤と黒

SEKONIC FLASHMATE  L-308S

SEKONIC STUDIO DELUXE L-398M
フランスの作家スタンダールの長編小説『赤と黒』ではなく、露出計の話である。単体露出計の需要については不案内だが、なんとなく絶滅危惧種じゃないかと思い始め、同じ製品を一台買い足した。セコニックの L-308S で、右の黒がそれである。左の赤は1921年に同社の創業60周年を記念して売り出されたもので、赤、青、緑、それぞれ60台ずつ国内出荷された。数が少なかったのであっという間に売り切れ、購入し損ねてしまった。ところが米国のB&Hに在庫があったので、逆輸入して何とか入手できた代物である。ところで調べ直したところ、同社は私の心配をよそに、現在でもかなりの数のラインアップを備えている。最上位機 L-858D はそれなりに測光精度が高いと想像されるのだが、筐体が大きく嵩張るし、希望小売価格が \75,000(税別)とかなり高価である。その点 L-308S は \35,000(実勢価格 \22,000)と手ごろな値段だし、単三電池1本で動くのが良い。アルカリ電池でもかなり長期に渡って使えることを体験済みだし、何処でも入手できる点は捨て難い。なお L-308S の機能に動画対応機能を追加した後継機に L-308DC があるが、必要ない機能なのでパスした。手元にあるミノルタのオートメーターIIIはまだ動くので、売却する予定。超ロングセラー L-398M は余りにも美しいので、手放すのはやめておこうと思っている。

2017年10月5日

モノクロ写真に情報の欠落を感じないのは何故だろうか

壁画(京都市中京区河原町通三条下る)
Rolleiflex 3.5F Xenotar 75mm T-max400

アルタミラの洞窟壁画、あるいは高松塚古墳の壁画など、絵画の世界は太古からカラーだ。ふと思うことだが写真や映画、テレビはモノクロから始まっている。もし写真術の発明がカラーだったら、絵画における水墨画のように、果たしてモノクロの写真を人は作っただろうか。気まぐれで色彩情報を廃棄した写真を作ることがあったかもしれない。しかし、今、写真史に残ってるような傑作が生まれたか疑問である。手掛ける人は減ったかもしれないが、モノクロ写真には捨てがたい魅力がある。ところで、カラーの水彩画を描く場合と、水墨画を描く場合、その方法論はまった違う。それでは、写真家はカラーとモノクロをどれだけ意識して使い分けているのだろうか。これは極めて興味ある課題だ。これはカラー向きの被写体だ、といった言い方をときどき耳にする。これは一瞬ナルホドと思うが、冷静に考えてみると、これはちょっとオカシイかもしれない。どんな色をしているかという情報を必要とする被写体にのみの場合であろうけど、不思議なことに、その必要を感じた経験を思い出せない。色彩にはさまざまな情報が含まれている。色彩から人間はさまざまなことを感知する。森羅万象、人間が感じ得るあらゆるものが色彩に込められている可能性がある。時にそれは危険信号となって、生命破たんを回避してくれる。あるいは性的なパッションを含め、人間の生命エネルギーの横溢を感じさせてくれる。食への欲求を促進し、生命維持のエンジンの役割を果たしてくれる。

紅葉(京都市右京区梅ケ畑高雄町)
Rolleiflex 2.8FX Planar 80mm T-max400

いわば色彩は、人間の視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、つまり五感すべてに関与していると言っても過言ではない。にも関わらず、多くの場合、モノクロ写真に大きな情報の欠落を感じないのは何故だろうか。新聞に掲載された小さな顔写真。人はそれを見て、それが誰かを識別する。何故なのだろうか。色彩がない二次元の映像から、人間はそのパターンやその他の情報を汲み取る。単なる影でさえ、人間はたくましく想像を張り巡らすのである。この先は大脳生理学者が解説してくれるだろうけど、おそらく、人間はその経験によって欠落情報を補填する能力を持っていると私は想像している。私が好きな写真家、石内都さんは著書『モノクローム』(筑摩書房)の中でこんな記述をしている。「色彩は自然の摂理であり、疑う余地のない現実の世界。そのすべての色彩をモノクロームのフィルムは、光と影の明暗だけに置きかえる。(途中略)いかなる色彩もモノクロームにあっては、黒と白に近づく為だけに用意されている」云々。これである。現実を写し取るのが写真の役割のひとつだが、眼前にあるモノを写し変える作為が写真にはある、と彼女は言う。そうなのである。現実を大脳が想起させつつ、さらにモノトーン化した画像から人間は、さらなるもうひとつの世界を嗅ぎ取るのである。

2017年10月3日

時代祭2017年日程

巴御前に扮した宮川町の芸妓(京都御所2016年10月22日)

10月15日13:30 時代祭宣状授与祭
行列の主な参役に選ばれた約500名の平安講社員が平安神宮のご神前に行列の無事執行を祈願し宮司より宣状が一人一人に授与される
15:00 時代祭奉祝踊り足固め
平安神宮境内で揃いの衣装の女性300名による民踊列が披露される
10月21日10:00 時代祭前日祭併献花祭
時代祭の無事執行を祈り献花などが平安神宮で行われる
10月22日7:00 時代祭(雨天順延)
総長・奉行が参列し平安講社を代表して総長が祭文を奏上する
8:00 神幸祭
2基のご鳳輦(ほうれん)に桓武天皇・孝明天皇のご神霊をうつす
9:00 神幸列進発
神幸列が平安神宮を進発し10:00頃に京都御所の行在所に到着する
10:30 行在所祭
崇敬者と市民代表が参列し神饌講社より神饌が献じられ白川女の献花奉仕が行われる
12:00 行列進発
時代行列が京都御所の建礼門前を出発し平安神宮に向かい13時頃には御池寺町に14時頃には平安神宮前で奉祝踊りが披露される
16:00 大極殿祭並還幸祭
全行列が到着したあと御鳳輦を大極殿へ奉安し延暦文官参朝列の三位が代表で祭文を奏上し続いて御霊代をご鳳輦より本殿に還して祭典を終了
10月23日10:00 時代祭後日祭
祭典の無事終了を奉告し祭具を片付け格納される
京都観光NAVI  行列の解説や巡行コースなど時代祭詳報(京都市観光協会)

2017年10月1日

片腕の写真家ヨゼフ・スデックの偉業

Prichod Noci ©Josef Sudek ca.1948–64

暗箱を背にした晩年のスデック
20世紀を代表する写真家の巨匠はという問いに対し、すぐにアンリ・カルティエ=ブレッソンやアンセル・アダムズなどを頭に浮かべるけど、ヨゼフ・スデック(1896–1976)の名を挙げる人は少ないかもしれない。スデックは「プラハの詩人」と呼ばれているが、こよなく愛したその都市景観と近郊の田園風景の魅力ある写真を残した。ウジェーヌ・アジェ(1857-1927)のパリとは大きく異なり、光を捉えた幻想的な作品である。アジェは日陰になった建物の諧調が潰れるのを嫌い、曇天の日に撮影することを好んだ。それに対しスデックは光が織りなすトーンを大事にしたからである。ボヘミアのコリーンに生まれた彼は、父親の生業だった製本の見習工になった。1915年にハンガリー軍に徴集され、イタリア戦線に送られたが、そこで負傷、傷の悪化により右腕を失ってしまった。入院中、医師からカメラを貸与された彼は患者仲間を撮影することに没頭する。退院後、プラハに戻った彼はグラフィックアート学校で写真を本格的に学んだのである。ピクトリアリズムに傾倒したが、すぐにストレート写真に転向、1924年にチェコ写真協会を設立して前衛表現に関心を寄せるようになった。スデックの写真表現を決定的にしたのは、1962年にチェコ・フィルハーモニー管弦楽団に同行、イタリアを旅した時の出来事だった。コンサートから抜け出した彼は、夜露に濡れた街の光景に強く打たれる。そして「もうどこにも行かない」と決心、プラハの都市景観撮影に集中、1933年に最初の個展開催にこぎつけた。1940年代に入り、ナチにより撮影活動が制限、戦後も社会主義体制のもとで極度に戸外での撮影制限されされたため、窓からの眺めを撮影したが、これは結果的にはシリーズ「アトリエの窓から」という傑作を残した。晩年はパノラマカメラも導入したが、大判の木製暗箱が主な撮影道具であった。健常者でも操作が厄介であるが、片腕というハンディを乗り越えた点に敬服するが、何よりも作品自体の素晴らしさに畏敬の念を抱かざるを得ない。紛れもなく20世紀を代表する写真家の巨匠の一人である。