2018年1月25日

ニコン&キヤノン時代の終焉?


SONY Alpha a9 Mirrorless
写真情報サイト PetaPixel によると、米国のデイビット・ブルネット氏が、40年間使用したキヤノンのカメラと別れを告げ、ソニーに乗り換えたという。ブルネット氏はロバート・キャパ賞などを受賞した著名な報道写真家である。ソニーのミラーレスカメラ Alpha a9 は20コマ/秒撮影できるので、スポーツ写真に向いてるというのが乗り換えの理由だという。ちなみにキヤノンのフラッグシップ一眼レフカメラ EOS-1D X Mark II は14コマ/秒で、ニコンの D5 は12コマ/秒である。ミラーレスカメラは応答速度が遅いと言われてきたが、一眼レフを凌駕してしまったのである。一眼レフカメラは像をミラーで反射させて、ペンタプリズムで屈折させるファインダー方式である。それに対しミラーレスカメラは、撮像素子で得られた画像情報を、背面の液晶モニターや電子ビューファインダーに表示させ、構図やピントの確認する。文字通りミラーがないので、そのぶん軽くて筐体が小さい。ミラーショックがなく駆動音が静か、そしてフランジバック(レンズマウントのマウント面から撮像素子までの距離)を短くすることが可能である。キャノンやニコンも製造を開始したが、どうやらソニーに先を越されてしまったようだ。かつて報道写真家向けカメラの王者はライカだったが、それを撃ち落としたのは日本製一眼レフカメラだった。プロ用小型カメラの双頭として君臨しきたわけだが、そのブランドにこだわらずに、ソニーや富士フイルムなどのカメラに手を出す写真家が増えつつあるという。ただレンズ資産の関係もあり、平昌五輪ではまだキヤノンとニコンの巨砲レンズが並ぶだろう。しかし安穏としている状況ではないようだ。

2018年1月19日

沢田教一展:その視線の先に

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日 時:2018年3月4日(水)~25日(日)10:00~19:30(最終日~16:30)
会 場:京都高島屋7階グランドホール(京都市下京区四条通河原町)075-221-8811
料 金:一般800円(600円)大学高校生600円(400円)中学生以下無料()内は前売り及び団体
主 催:朝日新聞社 企画協力:沢田サタ・斎藤光政 協力:山川出版社

2018年1月17日

蛇を愛せる人間になりたいものだ


爬虫類、特に蛇が苦手だ。蜥蜴は手足があるからまだマシだけど、蛇は見ただけで戦慄が走る。鳥類は爬虫類が進化したものと習った覚えがあるが、そういえば蛇の目と鳥の目は似ている。蛇の目傘のジャノメである。鳥は美しいと思うし、好きだ。なのに蛇に恐怖を覚えるのか不思議である。この感情はいつ、どのように刷り込まれたのだろうか。W・H・ハドスンの自伝的エッセー『はるかな国とおい昔』には、蛇に関する少年時代の興味深い思い出が綴られている。蛇を見ると、ギクっとなり、驚愕と恐怖が入り混じった感情に捕われる子どもだったという。この感情は兄からの影響ではなかったかと述懐している。蛇でさえあれば、命にもかかわる恐ろしい生物だと兄たちはみなしていたという。ところが「蛇は必ずしも人間にとって危険なものではない。だから生き残ったり、日没前に逃げたりしないようにと、見つけたが最後、すぐ殺したり、めちゃくちゃにつき砕いたりせねばならぬ生き物ではないという、あの発見以来、初めて私は、蛇の類のない美しさや、特性を鑑賞しだしました」と変化する。蛇を殺すのは、無害で美しい鳥を殺すのと同様、馬鹿げた仕業と気づく。かくしてハドスンは、蛇には何か神秘的なものがある、という感情を持つようになったという。

中田祝夫訳注『日本霊異記』(講談社学術文庫)
蛇は旧約聖書の中でアダムとイブをだます悪魔の化身として登場する。少なくともキリスト教圏では、嫌われ者で、しかも恐怖の対象とされてきたに違いない。ハドスンにも当然このような説話がインプットされていたことは確かである。しかしすべての野生生物への好奇心が高まり、やがて博物学者の目を持って蛇を観察するようになったのだろう。日本にも蛇に関する寓話は山ほどある。日本最古の仏教説話である『日本霊異記』の第四十一「女人の大きなる蛇に婚(くながひ)せられ、薬の力に頼りて、命を全くすること縁」は凄い。河内国の裕福な家の娘が登っていた桑の木から落ちて大蛇に犯される。親が薬で娘を助けるが、蛇は殺す。3年後、再び娘は蛇に犯され死んでしまう。夫婦の仲であったことを恋い、死に別れるとき蛇の夫と、その間にうまれた子に 来世必ず蛇の妻になりたいと思う」と遺言したという。霊異記は「その神識(たましひ)は、業の因縁に従ふ。或いは蛇馬牛犬鳥等に生れ、先の悪契に由りては、蛇となりて愛婚し、或いは怪しき畜生とも為る」と説いている。よこしまな前世が、蛇あるいは動物となって生まれ変わるというのである。無論、ここでの蛇は忌むべき存在として描かれている。しかし私は、娘が蛇に恋情を抱いた点に引っかかるものがある。霊異記はさらに「愛欲は一つに非ず」と続く。愛憎の現れもまた一様ではないと私は思う。蛇を愛せる人間になりたいものだ。

2018年1月16日

ジョーン・バエズ1967年日本公演逸聞


中古レコード店巡りが楽しい。最近の拾い物は『ジョーン・バエズ・ライブ・イン・ジャパン』(Joan Baez Live in Japan)で、1967年2月1日、東京厚生年金ホールでの実況録音アナログLPレコードである。キングレコードが制作したもので、紆余曲折を経て1973年にリリース、1976年に復刻盤も発売された。ジョーン・バエズが残した、日本でのたった一枚の記録で、海外のファンにとってはレア盤として垂涎の的らしいのである。収録されてる曲は『朝日楼』(House Of The Rising Sun)などの伝承歌謡は無論だが、どちらかと言えば『サイゴンの花嫁』(Saigon Bride)など、反戦、プロテストソングに軸足がおかれている。三橋一夫のライナーノーツによると、反戦歌手として反体制的な立場を明確に示していたため、内外から有形無形のプレッシャーがかかっていたようだ。そうした客観情勢下で公演が持たれ、誤解と緊張から来る微妙なズレが生じ、週刊誌などの好餌にされたという。テレビ中継もあり、アメリカ政府当局の圧力を忖度した司会者が、バエズの話を訳す際に「この『雨を汚したのは誰』は原爆をうたった歌です」を「この公演はテレビ中継されます」に、そして「私は自分の払ったお金が、ベトナム戦争のために使われたくないので。税金を払うのを拒みました」を「アメリカでは税金が高い」にと、意図的に誤訳したという話が残っているのである。今も昔もテレビ局の体質は変わらないようだ。小林万里と一緒に日本語で歌った金子詔一作『今日の日はさようなら』がこのレコードに残されているが、この曲は森山良子のヒット曲として知られている。バエズの楽屋に招かれ、さらにステージで一緒に歌ったので「和製ジョーン・バエズ」と呼ばれるようになったと言われている。しかしヤマハの『おんがく日めくり』が「森山のプロデューサーが、彼女を“日本のジョーン・バエズ”として売り出そうと、テレビ中継の予定されていたバエズの来日公演に森山を出演させるアイデアを思いつき、宿泊先まで直談判しにいって実現したもの。この時のテレビ中継により、彼女は全国的にその存在を知られるようになった」と暴露している。というわけでいろいろ逸話を残した日本公演だったのだが、司会者が途中で交代するなど、いろいろゴタゴタがあり、バエズ自身は余り良い印象を持たずに帰国したようだ。ただ演奏そのものは素晴らしく、流石である。なお『勝利を我らに』(We Shall Overcome)を聴衆がシングアウトしているのが印象的だ。

2018年1月14日

ウーマンラッシュアワー村本大輔の叡智

村本大輔を起用したオホーツク総合振興局のキャンペーン

日頃はテレビと接触する習慣がないので、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」が出演した番組を観たことがない。ただ元旦放送のテレビ朝日系『朝まで生テレビ!』で村本大輔が憲法9条や自衛隊について持論を展開して以来、ネットを通じて様々な情報が入るようになった。彼は私がソーシャルメディア Twitter でフォローしてる唯ひとりの芸能人である。
このツイートはネット社会の本質を突いたものである。彼は『朝生』で非武装中立論を展開、司会の田原総一朗から「もしも日本が米軍と自衛隊がいなかったら、尖閣は中国が取りに来る。取られていいわけね?」と指摘されたが「僕は取られてもいいです」と返答。さらに「沖縄をくださいって言ったらあげるんですか?」と問われると「もともと中国から奪い取ったんでしょ!」と発言したようだ。おそらく「中国から…」はかつて琉球王国が明との朝貢貿易を政策の要としていたという、史実に対する誤認だったと思われる。番組で井上達夫東京大学教授から「無知を恥じなさい」と叱責されたそうだが、これは如何なものであろう。学者たるもの、無知なるものをあげつらうのではなく、親切に解説、諭すべきではなかっただろうか。番組終了後どうやら村本はネットでしつこく攻撃されたらしく「沖縄は中国だったっていう無知の発言をまだネチネチ言ってきてるやついる、それにいちいち、返すのも面倒なので、これで総じて言わせてくれ。反省はしてるし、より勉強しようと思った、失敗からたくさん学んだ」とツイートしている。ネットでは他人の言動を執拗に追及する傾向があり、ソーシャルメディアの最大の問題点である。沖縄タイムスによると、その後、沖縄を訪問した村本は講演で「恥じたら人間どうしますか。隠す、知ったかぶりをする。人はいろんなページを持っているのに一つのページしか見ずに決めつける。知ったかぶりで『沖縄は』『原発は』と決めつける。いろんなページを見ないと物事は分からない。直接聞かないと分からない。無知こそ最強の道具だ」と語り、政治発言を避けるテレビは、つくられた世界の「テーマパーク」と表現。芸能人も「着ぐるみを着たおもちゃ」と風刺したのである。学歴社会に一矢報いた村本大輔にむしろ叡智を感ずるのは私だけだろうか。

2018年1月11日

大相撲が抱える排外主義の深い闇

二代目歌川国輝「大日本大相撲勇力関取鏡(部分)」慶応3年(1867)

日刊スポーツ電子版によると、横綱白鵬が1月9日、明治神宮で奉納土俵入りを披露したという。日本相撲協会の公式サイトは「相撲はその年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として、毎年行われてきた」とその起源を説明している。その一方で「人間の闘争本能の発露である力くらべや取っ組み合いから発生した伝統あるスポーツである」とも。宗教儀式、つまり神事であり、スポーツだという。神社で土俵入りを奉納するのは、明らかに神事であり、宗教行事である。白鵬が「横綱の品格に欠けると批判された」という記事を時々目にするが、相撲は神聖な神事だという見地に立った苦言なのだろう。しかし白鵬はあくまで格闘技であり、勝つためにはいろいろな手を打つ、と考えているのではと想像する。異教徒であるにも関わらず、神事に従うのは、そうしないと日本相撲協会から追放されてしまうかだろう。いわゆる「国技」の厳密な定義はないが、大相撲を国技と呼ぶ人がいるようだ。両国の相撲興行施設が国技館と名付けられているだけという、極めて薄弱な理由によるものに過ぎない。日本の国技という主張を突き詰めると、力士はみな日本生まれの、日本国籍の者たちでなければならないということになり兼ねない。ところで大相撲には「花道」「幕の内」「千秋楽」といった、歌舞伎と共通する言葉がいくつかある。だからというわけじゃないだろうけど、大相撲を芝居と揶揄する人がいるようだ。芝居という言葉は八百長を暗示している。土俵際の砂かぶりで何度か撮影したことがあるが、仕切りを繰り返すたびに、次第に力士の肌が紅潮、気合が入ってゆくのが伝わってくる。力士がぶつかるときの音はテレビ観戦では分からないが、間近に聴くと実に激しいものだ。まさにガチンコ、真剣勝負で、八百長が忍び込む余地はないと当時は思ったものである。それはともかく、単なる格闘技以上の伝統的要素を含む点が大相撲の魅力を支えているし、世界無形文化遺産に登録されていないのが不思議なくらいだ。しかしながら、普通のスポーツ選手なら看過される行為に対し、国技あるいは神事という言葉を持ち出し、執拗に批判するのは如何なものかとも思う。神事とスポーツの複合が、現代の大相撲の運営の難しさを象徴しているからだ。貴ノ岩に対する暴行事件の複雑さの根底に、異教徒である外国人力士を受け入れた大相撲が抱える深い闇、排外主義の陰が潜んでいる。

2018年1月8日

市民講座:虹の探求/多様な表現を探る

アメリカからフォークがやってきて50年

日 時:2018年2月10日(土)13:00~15:30
会 場:京都市北いきいき市民活動センター(京都市北区紫野北花ノ坊町)075-492-7320
入 場:無料(先着80名)
講 演:ウェルズ恵子(立命館大学文学部教授)
演 奏:やぎたこ(やなぎ昌英・辻井貴子)
主 催:京都市北いきいき市民活動センター(https://kyoto-kita-ikiiki.jimdo.com

2018年1月6日

蘇ったウディ・ガスリー未発表の歌


アナログLPレコード『デルとウディ』(Del and Woody)を入手した。ウディ・ガスリー(1912–1967)は夥しい数の歌を書いたが、約3,000の歌詞が1972年に設立されたオクラホマ州タルサのウディ・ガスリー財団にアーカイブされている。その大部分にメロディがなく、未発表のままである。歌はメロディがあってこそ、歌ってこそ歌である。1995年、ウディの娘ノラは、英国の歌手ビリー・ブラッグに、父親が残した歌詞にメロディを付けるように依頼する。ブラッグは財団のアーカイブを研究した後に、オルタナティヴ・ロックバンドのウィルコ(Wilco)と共演、40曲を録音した。その一部がアルバム『マーメイド通り』(1998年)と『マーメイド通りVol.2』(2000年)に結実した。またノラは未完成の歌のひとつ『君が再び歌うのが聞こえる』(I Hear You Sing Again)の歌詞を使って曲を書くことをジャニス・イアンに持ちかけている。その後、パンクバンドのアンタイ・フラッグに作曲を依頼するなどの努力を重ね、ウディの音楽に新しい聴衆とファンをもたらしたようだ。ノラがブルーグラス音楽のデル・マクーリー・バンドの演奏を聴いたのは2009年だったらしい。おそらくピート・シーガーの90歳の誕生日を祝うため、マディソン・スクエア・ガーデンで行なわれた「クリアウォーター・コンサート」だったと思われる。ノラは「もし父がバンドを持っていれば、デルのようなサウンドになった可能性があるわ」と「ブルーグラス・トゥデイ」のマイク・マロンのインタビューに答えている。ウディはカーター・ファミリーのメロディを使って歌ったというイメージが私にはあり、デル・マクーリー・バンドによる演奏はちょっと意外な感じがしないでもなかった。というのはブルーグラス音楽はフォークソングとなまじ親戚関係にあるだけに、過度な期待をするとイメージがすれ違うのではと思ったからだ。しかし実際に聴いてみると、杞憂に過ぎなく、見事に溶け込み昇華されている。実に半世紀の時を経てウディの歌に新たな血が注がれたのである。特筆すべきは、CDばかりではなく、アナログLPレコードもリリースされたことである。

2018年1月3日

2018年 第14回 名取洋之助写真賞 作品募集

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応 募: 2018年7月1日(日)~8月20日(月)消印有効
資 格: 35歳まで(1983年1月1日以降生まれ)の方
主 催:日本写真家協会(東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル)

PDF  第14回名取洋之助写真賞応募要項&応募票の表示とダウンロード(PDFファイル 396KB)

2018年1月1日

謹賀新年 2018 来福犬筥

京都市下京区四条通柳馬場東入る

今年2018年は戌年、犬にちなんで年賀状にご覧のような写真を載せました。犬筥(いぬばこ)と呼ばれる張り子の犬の雛道具です。犬は古くから、人間を厄災から守ると信じられていたため、その姿を写すことで魔除けや厄除けの象徴とすることが行なわれていました。神社の入り口にある恐ろしげな顔の狛犬は、まさに魔除けのための番犬という感じですが、子どもを守るという役割が定着するにつれて、次第に人間の子どものようなかわいらしい顔に代わっていったようです。また、犬はお産が軽く、たくさんの仔を産むことから、安産の守り神としても知られています。犬筥は、江戸時代には武家の嫁入り道具として調える習慣ができ、上流家庭では産室や子どもの寝室などに置いてお守りとしたほか、婚礼の際に用いられるなど、日頃の生活に密着したものであったようです。後に民間に広まった、お宮参りの犬張子の原型になったとも言われています。