2018年5月29日

英王室一家のジャグバンド

Royal Family Jug Band

Official Royal Wedding Photo ©Alexi Lubomirski (Click to large)
ソーシャルメディア Facebook でご覧のようなパロディ写真を見つけた。Folk Musician Memes というページに投稿された合成写真だが、制作者不明で、説明はついてない。見ればわかるという訳だろうか。オリジナルは5月19日(現地時間)に開かれた英王室のヘンリー王子とメーガン・マークル妃の結婚式の公式記念写真3枚のうちの1枚である。ウィンザー城のグリーンドローイングルームで、撮影したのはヘンリー王子夫妻の婚約写真を撮影した、アメリカで活動している写真家、アレクシー・ルボミルスキー氏である。合成写真では子どもたちが省かれ、ヘンリー王子がギター、メーガン・マークル妃がバンジョー、ウィリアム王子がフィドルを手にしている。面白いのは、エリザベス女王が持っている楽器がウォッシュボード (洗濯板)であることだ。身の回りにあるものから作られる手製の楽器で、ジャグバンドに使われる楽器である。英王室は庶民から親しまれているが、女王が洗濯板とはいささか驚く。日本の皇室だったらどうかと一瞬思ったが、そもそもパロディ写真を公表する雰囲気ではないというのが現実だろう。蛇足ながら後列にいるカウボーイハットの男は誰だろう。オリジナルの写真には写っていないが、もしかしたら合成写真の制作者自身かもしれない。

2018年5月23日

太秦広隆寺の弥勒菩薩像と再会

国宝木造弥勒菩薩半跏思惟像(朝日新聞社『上代の彫刻』1942年)

広隆寺講堂(京都市右京区太秦蜂岡町)
薫風に誘われ、弥勒菩薩像に再会したくなり、広隆寺に出かけた。仁王門をくぐると重文の講堂が視界に入る。参拝の栞の境内図には「赤堂」と括弧書きしてあるが、なぜそう呼ぶのか不明である。地蔵菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像を安置しているはずで、格子戸から覗いてみたが、暗くてよく分からない。さらに参道を進むと上宮王院太子殿に至る。いわば本堂で聖徳太子立像が安置されているそうだが、秘仏で、秋の開扉を待たないと拝観できない。太子殿を右に奥に進むと、念願の弥勒菩薩像が座してる新霊宝殿に辿り着いた。照明を落とした中は暗く、目が慣れるまでしばらく時間がかかった。創建当時の仏像や天平、弘仁、貞観、藤原、鎌倉の各時代に造立された仏像が壁に沿って一列に並んでいる。弥勒菩薩像は北側真ん中にある。過去に二、三度ほど拝観しているが、何度見ても美しいと思う。やや距離があり、細部を観察するための双眼鏡を忘れたことをちょっぴり後悔する。賽銭箱があるものの、仏教寺院内陣特有の天蓋などの装飾がここにはない。外観は和風だが、鉄筋コンクリートの耐火建築で、いわば博物館である。寺は二度の火災に見舞われたにも関わらず、多数の仏像が難を逃れた。そういった歴史的背景があるのだろうけど、信仰の対象というより、仏教美術品という側面が強調されるきらいは免れないだろう。仏教美術というとアーネスト・フェノロサを思い浮かべる。寺僧は猛反対したが、法隆寺夢殿の秘仏救世観音の厨子を、200年の禁を破って開けさせたのである。これを機会に、仏像や仏画が信仰と対象であると共に、芸術作品という概念を日本人に植え付けたといえる。フェノロサについては「貴重な日本美術を海外へ流出させた」と批判する意見があるが、彼の調査を元に1897年(明治30)、文化財を国宝に指定して保護する「古社寺保存法」が制定されたのである。明治維新後に発生した、廃仏毀釈という凄まじい嵐が吹き荒れた。多くの仏教寺院の伽藍や仏像が破壊されたが、それに歯止めをかけたのは「国宝」という新しい概念だったのではないだろうか。この弥勒菩薩像は国宝第1号として知られるが、その美しさに触れることができるのは、フェノロサのお陰とも言えそうなのだ。

2018年5月22日

京大のタテカンは学生街の原風景

京都大学(京都市左京区吉田本町)2018年5月21日

2012年8月16日(クリックで拡大)
京都市左京区の百万遍交差点を通りかかったら、南東角の京都大学の擁壁の上の植え込みに、シャツが洗濯ものを干すがごとく吊られていた。学生たちが設置したタテカン(立て看板)が、擁壁への屋外広告物の設置を禁じた京都市条例に違反するとして市が大学側に通告、大学側がこれに従って既存の看板を撤去したことがことの始まりだった。これに対し学生たちが反発、看板の立て直しをしたが、大学側はこれを再び撤去した。その後も攻防が続き、イタチごっこになっているようだ。京大のタテカンは半世紀の歴史を持ち、学生街独特の景観、すなわち原風景なのだが、景観を理由に撤去とはまさに皮肉である。左の写真は2012年夏、五山送り火の日に通りかかったときの光景だ。反原発を訴えるタテカンの書体が「ゲバ字」もどきで懐かしく思わずシャッターを切った。1960年代末から70年代初頭にかけてここで学園紛争を取材した光景が、走馬灯のようにぐるぐる回り、不覚にも涙腺がゆるんでしまったことが思い出される。京都市立芸術大のギャラリーでタテカンの展示会があったが、ガラスケースの中の野鳥、すなわち剥製化したと同様である。企画は理解するが、街頭にあってこそ看板である。この先の展開は不透明だが、再びタテカンが並ぶことを望みたい。京都の大学が昨今の右傾化に飲み込まれず、リベラルな学生運動、平和運動の砦であり続けて欲しいという気持ちでいっぱいだ。

2018年5月19日

ヘミングウェイ『武器よさらば』史実との乖離


新潮文庫2006年
この DVD はいつごろ購入したのだろうか、ワンコイン、500円だった。著作権が切れたため、このような安価な DVD が作られるようになったようだ。1932年に公開された、ゲイリー・クーパー、ヘレン・ヘイズ主演、フランク・ボーゼイジ監督作品のこの映画、メロメロなメロドラマに辟易して、途中で鑑賞を放棄したことを憶えている。思うところがあり、最近再び観たが、やはり最後までは付き合えなかった。野戦病院のセットなど、参考になったが、美男美女のハリウッド映画、またしてもついて行けなかった。転じて今度は原作を手にしてみた。大昔、読んだはずだが、いつだったか、そして内容もすっかり忘れていた。DVD の解説に「ヘミングウェイの自伝とも云われ」とある。一人称で書かれているので私もそう思っていたが、実は違うようだ。物語はカポレットの戦い、すなわち1917年10月24日から11月9日にかけて、イタリアのカポレット(現スロベニアのコバリード)で戦われた戦いを背景にしている。弱体化したオーストリア=ハンガリー帝国軍に対し、ドイツ帝国軍が援軍を派遣、イタリア軍が壮絶な敗走を余儀なくされた戦いだった。
ミラノには早朝到着し、貨物駅の構内で下ろされた。傷病兵搬送車でアメリカ赤十字病院まで運ばれた。搬送車の担架に横たわっていると、町のどの部分を通過しているかわからなかったけれども、最後に担架ごと下ろされたとき、市場とワイン・ショップが見えた。ワイン・ショップはすでに開店していて、若い娘が店の前を掃いていた。道路には水がまかれている最中で、早朝の匂いがした。担架を下ろしてくれた男たちが中に入り、門衛と一緒に出てきた。
アメリカ赤十字は、1917年の時点では傷病兵搬送車部隊をイタリアに派遣していなかったし、病院をミラノに開設していなかったという。従ってこの記述は史実と異なる。ヘミングウェイがイタリアに渡り、傷病兵搬送車要員として前線に配置されたのは、1918年6月だった。つまり『武器よさらば』以降であった。戦争体験はむしろ『日はまた昇る』と重なっている。ヘミングウェイは事実を報ずるジャーナリストでもあった。にも関わらず史実と乖離した記述をなぜしたのだろうか。自らの戦争体験を表現するには、カポレットの敗走こその主題に相応しいと考えたに違いない。つまりフィクションが、物事の真実を顕在化させる、と解釈すべきだろう。彼が描きかったのは、自分の体験ではなく、戦争の悲惨だったからに違いないからだ。読了後、続いてヘミングウェイの、まさに自伝的小説といえる『日はまた昇る』を手にした。これまたかつて少年時代に読んだのだが、再読によって新たな感動を覚えた。史実との乖離を犯して書かれることになる、フィクション『武器よさらば』の戦争体験昇華の秘密を、垣間見たような気がする。

2018年5月17日

音楽ディスク断捨離奇譚

書棚から CD や書籍は消えそうもない

Newsweek July 26, 2004
最近「3,500枚のCDを捨てた話」と題した興味深いブログ記事を読んだ。モノとしての音楽ディスクを捨てる、一種の断捨離なのだろう。なぜ捨てる決心をしたのだろうか。まず最新情報が届かない音楽雑誌を購読しなくなる。そして iPod の登場によってデジタルダウンロードへ移行し CD が脱落したという。さらに Spotify が上陸し、ストリーミングがメインになり「音楽を所有すること」「音楽を購入すること」をやめてしまったそうである。3,500枚の CD を所有した音楽愛好家の大胆な変身である。これを読んで、スティーブ・ジョブスを思い出した。オーディオマニアとして知られ、高価な装置を所有していたようだ。だから MP3 プレーヤーである iPod の音質に満足したとは思えない。にも関わらず、開発販売に踏み切ったのは、ヒット商品になるという予感があったからだろう。ジョブスは自分の子どもに、後に開発されたタブレットを触らせなかったという。つまり信条とビジネスを使い分けた人だった。それはともかく、今日の音楽ストリーミングの魁(さきがけ)が iPod であったことは間違いない。ところで私だが、ネットワーク・オーディオ・プレーヤーを持っているくらいだから、クラウド音源を無視しているわけではない。しかし CD や LP を断捨離する気にはなれない。音楽ディスクは単に聴くだけのものではない。ジャケットの写真やイラストは観るものであり、ライナーノーツは読むものであるからだ。特に LP 時代のジャケットは芸術作品に相応しいものが多々あった。解説書はアーティストや曲目の紹介、歌詞、録音データなど、資料としての価値がある。断捨離できない理由である。とはいえ当該ブログの内容を揶揄する気は毛頭ない。潔い見識にひたすら感心するばかりで、モノを所有することに拘る自分を情ないと痛感する。

2018年5月13日

スピーカー用インシュレーターの効果

オーディオテクニカ AT6099(左)とコーナン振動吸収材

オーディオテクニカ AT6099 衝撃振動減衰グラフ
メインのオーディオ装置のスピーカーの底面四隅にはホームセンターのコーナン振動吸収材を貼り付けてある。素材はブチルゴムで、天然ゴムの約半分の時間で振動吸収するという。最近パソコン用のスピーカーを買い替えたが、オーディオテクニカの防振インシュレーター AT6099 を購入してみた。6個一組3,000円弱、コーナン製のおよそ5~6倍もする。特長は防振ゴムと真鍮がサンドイッチになっていて、ハイブリッドの名を冠している。防振ゴムはハネナイトソルボセインが併用されている。前者は「跳ねない」と語呂合わせしたネーミングなのだろうか。ブチルゴムと違って金属との強力な接着が可能だそうである。オーディオテクニカのウェブサイトによると、真鍮はサウンドチューニングに最適で「スピーカーにご使用の場合、一般的にスピーカー間の定位(ボーカルや楽器の位置)や奥行きはクリアーで明確な方向に向かいます(例外もあります)。通常に使用していた時に比べ、スピーカー間の距離を広めにとると効果的です」と説明している。では実際に使ってみてどうか。同サイトには衝撃振動減衰グラフ(左上)が掲載されている。一般ゴムと比べると振幅が小さく振動が素早く収まるのが分かる。しかし周波数特性の比較はない。計測したとしても、接続する機器によって差が出るので、公表できないのだろう。この点が議論を沸騰させる要因になっていると私は思う。購入したネット通販サイト AMAZON のカスタマーレビューには「低域から高域まできちんと聞こえるようになりました」といった具合の好意的な書き込みが多い。少しでもいい音をというマニアの願望がにじみ出ている。しかし「ほとんど音色の変化が解りません」といった感想、そしてさらに「オカルトグッズ」と切り捨てた酷評もあり、評価が真っ二つに割れている。私自身は低音が伸びたような気がするけど、そんな気がするだけかもしれない。重低音用のサブウーファーを外してもウッドベースの音がよく聴こえるようになった。スピーカーの慣らし運転(エイジング)が進み、性能が向上していることと関係しているのだろう。防振効果に限るなら、ホームセンターで売っている安価な振動吸収材と、余り変わらないのではないか。

2018年5月11日

空也上人の西院河原地蔵和讃が脳裡をよぎった

高山寺地蔵塚の小石仏(京都市右京区西院高山町)

高山寺山門
京都の高山寺といえば国宝「鳥獣人物戯画」で知られる、右京区梅ヶ畑栂尾にある寺院を連想する人が多いと思う。世界遺産に登録されている有名寺院だ。ところが阪急電鉄西院(さいいん)駅を降りた交差点の東北角にも同名の寺院がある。山門前の石柱には寺名の上に「旧跡西院(さい)之河原」と刻んである。かつて淳和天皇の離宮があり、皇居からみて西側にあったことから、この地域が西院と呼ばれるようになったという。西院は一般には「さいいん」と読むが、地元では「さい」と呼ぶ人が多いようだ。私には「いん」を省略したというより、語尾に小さく残しているように聴こえる。すぐ近くにある京福電鉄嵐山本線の西院駅は、ひらがな表記では、阪急と違って「さいいん」ではなく単に「さい」となっている。蛇足ながら市バスの停留所名は「西大路四条」と素っ気ない。

石柱の側面には「くろだにをはやたちいでてこうさんじさいのかわらをまもるみほとけ」という寺院の御詠歌が見える。これはむしろ「黒谷をはや立ち出でて高山寺の賽の河原を守る御仏」と漢字交じりにしたほうが分かり易いだろう。黒谷とは東山区にある浄土宗黒谷派の本山金戒光明寺のことである。ところで空也上人の「地蔵和讃」の西院河原(さいのかわら)すなわち賽の河原は、鴨川と桂川が合流する佐比の河原に由来すると言われている。淳和天皇の離宮近くに佐比大路があったことで関連づけられるようだ。少し言葉が錯綜してしまった。要するに「佐比の河原」から「西院の河原」そして「賽の河原」と派生したと考えられる。だからこれらは同音異字と言ってよいと思われる。佐比の河原は鳥辺野(とりべの)蓮台野(れんだいの)化野(あだしの)市原野(いちはらの)と同様、庶民の葬送の地、無常の地であった。
西院の河原に集まりて 父上恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とはこと変わり 悲しさ骨身を通すなり かのみどり子の所作として 河原の石を取り集め これにて廻向の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んでは故郷の 兄弟我身と廻向して 昼は一人で遊べども 陽も入相のその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝等はなにをする 娑婆に残りし父母は 追善作善の勤めなく ただ明け暮れの嘆きには むごや悲しや不憫やと 親の嘆きは汝等が 苦患を受くる種となる 我を恨むることなかれ 黒鉄の棒を差し延べて 積みたる塔を押し崩す その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出でさせ給ひつつ 汝等命短くて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土は程遠し 我を冥土の父母と 思うて明け暮れ頼めよと 幼きものをみ衣の 裳のうちにかき入れて 哀れみ給うぞ有難き 未だ歩まぬみどり子を 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲のみ肌に 抱き抱えて撫でさすり 哀れみ給うぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩(空也上人『西院河原地蔵和讃』)
丸彫りの石造地蔵菩薩像
山門をくぐると大きな石造地蔵菩薩像が目に飛び込んできた。丸彫りの花崗岩製で、高さは3メートルはありそうだ。右手が与願印、左手に宝珠を持つ古い形式で、江戸末期の造立と想像される。この地蔵尊は上述の御詠歌にある通り、明治三十五年(1902)本山の金戒光明寺から移されたものである。周囲に阿弥陀などの小石仏が取り囲み、まさに賽の河原の様相を伝えている。中世、庶民は墓を作ることを許されず、小さな石仏を彫って死者を弔ったのである。現在、夥しい数の小石仏をを奥嵯峨野の化野念仏寺に見ることができるが、そのミニチュア版がここにある。さらに本堂には本尊の恵心僧都源信作の地蔵菩薩が安置されている。子どもに恵まれなかった足利義政夫人の日野富子が祈願し、足利義尚を授かったという伝説が残っているという。貞観十三年(871)この地は庶民の葬送の地と定められた。後に庶民の葬送の地は七条に移されたが、15歳以下の子どもはやはり左比の河原に葬ることになっていた。子どもの葬儀は行わず、葬地に捨てることになっていたという。つまり石仏も彫られず、河原の石ころを積み上げて小塔を作り、死者の菩提を弔ったようだ。地蔵尊を見上げていると、空也上人の哀切に満ちた和讃が脳裡をよぎった。

2018年5月8日

時おり憑かれたように「アキハバラ少年」に戻ってしまうようだ

Audio Technica Banana Plug AT6302 and AT6301

AT6502(上)と AT6301(クリックすると拡大)
北欧デンマーク DALI 社の小型スピーカー ZENSOR PICO 導入記の続き。ケーブルとバナナプラグへのいわば「悪あがき」がこの写真に見て取れる。前項「電線病に感染したのかな?」で書いたように、当初は平行型ケーブルだったのだが、好奇心からツイスト型に替えてみた。そしてバナナプラグはオーディオテクニカの AT6302 から AT6301 に変更した。いずれのプラグもソルダーレス、ハンダなしでケーブルを繋ぐようになっている。かつて「アキハバラ少年」だった私はアンプを自作していたくらいだから、ハンダ付けは苦にならない。ソルダーレスバナナプラグは接点が増える点に問題があると言われているようだ。その点を考慮して、メインのオーディオ装置のプラグはケーブルをハンダ付けしている。にも関わらず ZENSOR PICO ではなぜ省略したのか。PC用スピーカーだし、いろいろ実験したくなったのである。

Audio Technica Insulator AT6098
写真をご覧になれば分かるように AT6302 はオール金属で見た目にはカッコいい。ところが左上の図のように接触面積が小さいし、ケーブルがプラグから抜けやすい。その点 AT6301 はビニールの被覆をおよそ 13mm 剝き、2本のビスで締め付けるのでより安定感がある。ケーブルが細く、倍の長さの被覆を剥いて芯線を挿入したので、かなりきつく締まった。スリーブが ABS 樹脂製なので、接触ショート事故を防げる。デザイン的には劣るが、赤黒の色分けによる極性の明示が好ましい。以上が変更の理由であるが、音質が劇的に向上したとは残念ながら断言できない。何となく音がクリアになったような気がするが、同時導入した振動吸収用インシュレーターの効果かもしれない。いずれにしても要素が複合するので、あくまで主観に過ぎなく、客観的な評価は難しいと弁解しておくことにする。ただオーディオ機器は視覚的要素も大事で、その点ではかなり満足している。音楽愛好家である私は、いい音で聴きたいという願望はあるが、決してオーディオマニアではない。しかし時おり憑かれたように、ラジオペンチを手にした「アキハバラ少年」に戻ってしまうようだ。

2018年5月7日

ドロシア・ラング「出稼ぎ労働の母」に学ぶ


大恐慌時代、米農業安定局(FSA)はドロシア・ラングやウォーカー・エヴァンスなどの写真家を集め、人々の窮乏生活を記録するプロジェクトを作った。一説にはルーズベルト大統領の発案と言われ、いわば失職中の写真家を救済したという側面もあったようだ。このプロジェクトは、戦争情報局(OWI)に引き継がれたが、膨大な数のネガとプリントが米国議会図書館(LOC)に所蔵されている。これらの貴重な記録写真がデジタルアーカイブされているのは言うまでもない。この写真に記憶がある人は多いと思う。1936年2月あるいは3月、カリフォルニア州ニポモで撮影されたもので、女性の名はフローレンス・トンプソンだった。LOC のサイトにはドロシアが『ポピュラー・フォトグラフィー』1960年2月号に寄稿した「忘れることができない請負仕事」が掲載されている。「飢えて途方に暮れた母親を見て、まるで磁石に曳かれるように近づきました。私の存在とカメラについてどう説明したかを覚えていませんが、彼女が私に全く質問しなかったのを覚えています。近づきながら、同じ方向から5枚撮りました。私は彼女の名前、あるいは境遇について尋ねませんでした。年令を語ってくれたのですが、32歳でした。この辺りの畑の凍った野菜、そして子どもたちが殺した小鳥で生き続けてきたと彼女は言います。食物を買うために車から外したタイヤをちょうど売ったところでした。纏わりつく子どもたちと一緒に差し掛けのテントに座った彼女は、写真が助けになることを知ってるようで、だから私を助けてくれたようです。これに関しては一種、対等でした」。拙訳で恐縮である。


このビデオは写真家のアプローチを垣間見ることができ、非常に興味深い。最初は遠くからテントの全景、そしてカメラはぐっと近づき、母子に迫っている。途中で母親が気付いたことは容易に想像できる。写真家と被写体の間に会話があったことは上述の記事で分かるが、最後に撮ったコマが会話の後なのか不明である。写真を撮ることに対し、助力してくれたというから、会話後にポーズを付けて撮った可能性もある。原板は4x5インチのカメラで撮られているし、フィルム交換にも時間がかかったはずで、現代のモータードライブとはまるで違う。二人の会話から生まれた決定的瞬間ではないかと私は勝手に想像している。それにしても、撮られる側、撮る側が対等だったという言葉が印象的である。お互い様という意味なのだろうか。フローレンスの二人の娘が、この写真を非難していないことも特筆に値するかもしれない。FSA の大恐慌記録写真は、官製プロジェクトによるものだったが、アメリカにおけるドキュメンタリー写真の礎を築いたと言える。その系譜は現代アメリカのフォトジャーナリズムに継承されているのだろうか。写真の副題は Migrant Mother なのだが、日本では一般に「移民の母」と訳されている。しかしフローレンス・トンプソンは、いわゆる外国からの移民ではない。1903年にオクラホマ州インディアン・テリトリーのフローレンス・レオナ・クリスティ生まれ。17歳で結婚し、その後農場や木工のためにカリフォルニアに移住した。1963年、ロサンゼルスからワトソンビルまで運転している間に車が故障し、ピーピッカーズキャンプに牽引して修理した後、ドロシア・ランゲと会ったという。私はスタイベックの小説『怒りの葡萄』を思い出した。

2018年5月3日

王朝行列 2018 葵祭

下鴨神社(京都市左京区下鴨泉川町)2017年撮影

日 時:2018年5月15日(火)10:30~ (雨天順延)
巡 行:京都御所(10:30)下鴨神社(11:40)上賀茂神社(15:30)

京都観光NAVI  行列のあらましと巡行図(京都市観光MICE推進室京都観光NAVI)

2018年5月1日

2018年第43回JPS展開催のお知らせ

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公益社団法人日本写真家協会(略称JPS)は全国に1,600名余りの会員を擁する職業写真家の団体です。協会の文化活動としての展覧会活動は、協会発足当時から始まっています。本協会創立の翌年1951年には「日本写真家協会 第1回展」を開催、1962年の第10回展まで行われました。同展は1976年に「JPS展」と名称を新たにし、1977年からは一般公募を開始、91年からは写真学生を対象とした「ヤングアイ」にまで規模を拡大し、東京、広島、名古屋、京都などで開催しています。一般公募では、文部科学大臣賞・東京都知事賞・金・銀・銅賞の他、奨励賞、優秀賞が与えられ、プロの写真家への登竜門となっています。

東京展
会 場:東京都写真美術館 B1F(目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)03-3280-0099
日 時:2018年5月19日(土)~6月3日(日)10:00~18:00(木・金曜は20:00まで)月曜休館
名古屋展
会 場:名古屋市民ギャラリー矢田 第1~4展示室(名古屋市東区大幸南1-1-10 カルポート東)052-719-0430
日 時:2018年6月19日(火)~6月24日(月)9:30~19:00(最終日17:00まで)月曜休館
関西展
会 場:京都市美術館別館(京都市左京区岡崎最勝寺町13)075-762-4671
日 時:2018年7月10日(火)~7月15日(土)9:00~17:00(入場は16:30まで)月曜休館

料 金:各展共通 一般700円(団体割引560円)/学生400円(団体割引320円)/高校生以下無料
主 催:公益社団法人日本写真家協会(http://www.jps.gr.jp/

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